21世紀猫の手日記
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2024年06月15日(土) 湿原の木道を歩く

湿原は普通に地平線が見えた。広いのだ。山側から入って、開けたほうへと木道は続く。
木道にある展望台が前から気になっていた。予想よりしょぼかった。

地図を見て気になったところへ行くツアーをほぼ毎週やっている。


……、実は気分的に限界なのかスピリチュアル的な何かなのか、特定の神社だと号泣するということがあった。

こちらの地域は、漁村だと一集落に一つは神社がある。色々な神様がいるので、なんともいえない。竜神様だったり、いろいろ。

地図で見て気になっていた、某毘沙門天稲荷へ行った。海を見下ろすちょっと高いところにあった。たまたま、フェス中だったのか、赤いのぼりがあった。

拝むどころか、鳥居をくぐった瞬間号泣した。涙が止まらない。
感情は、神様仏様ご先祖様お父さんお母さん、ありがとうごめんなさい。私は人を導くことはできませんでした。そんな感じ。
(あとで、導きたかったのか?めんどうだな、それは絶対無理よと思った:苦笑)

と、そんな感じで5分か10分くらい泣いて、スッキリしてお礼を言って帰ってきた。賽銭を入れるにも箱も無いんだ。

で、不思議だったので他の神社にも行ってみた。涙は出ない。一か月ほどして、また行ってみた。

……やはり、ありがとう、ごめんなさい号泣をした。人をなんとかというのは出てはこなかった。でも、鳥居をくぐった瞬間号泣だった。フェスは終わったのか、赤いのぼりはなかった。合わせた手のひらが不思議に温かい。

なんかわからんが、悪いものに取りつかれてたのが取れたような感じがした。

うーん、ここは本当に神様がいるのかもしれない。

で、なんかお礼とか今後の抱負を述べて帰ってきた。お願いは特にしない。こうしたいのでかんばりますみたいな。言わされた感はある。なかなか、お宮に向かって話す習慣は無い。神社で話しかけるは、人生初かもしれない。

神社で号泣の今後の活かし方をcopilotに聞いてみた。……、困ったんだ。


毘沙門天のスピリチュアルな意味:

毘沙門天は、勝利や成功、学問の神様として知られています。この神様は、邪気や悪霊を退け、人々を守る力を持っています1。

また、毘沙門天は、自己律し、他人を思いやることの大切さを教えてくれます。この神社に参拝することで、自分自身を律し、他人を思いやる心を持つことができるでしょう。

号泣する意味合い:

毘沙門天稲荷神社で号泣することは、感謝の気持ちや謝罪の意を表す場合があります。人々は心の重荷を解放し、感情を共有する場として号泣することがあります。

この神社は商業や産業の神として信仰されており、人々は自身の願い事や感謝の気持ちを神に伝えるために訪れることが多いです。

生かし方:

毘沙門天稲荷神社での号泣体験を通じて、自分の感情や心の中にあるものを浄化し、心の平和を求めることができます。

今後の人生においては、感謝の気持ちを大切にし、他人を思いやる心を持ち続けることで、毘沙門天の力を最大限に引き出すことができるでしょう。

毘沙門天稲荷神社は、人々にとって特別な場所であり、スピリチュアルな成長や癒しを求める場として大切にされています2。


……つまり、浄化の反対で、心が荒れていたと。まぁ、基本的に今よりはすごくつらい状態でした。人を思いやる、感謝が足りないので、改めたらーみたいな。そんな感じか。わかった。








zaza9013

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