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2001年05月11日(金) ■ |
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今日は実は上の弟の誕生日だった。 思い出したのは友達とカラオケ行ってる最中。 遊んでばっかのネ−チャン、誕生日プレゼント用意してません。 ごめんな弟。
誕生日ってちょっと不思議だ。 誕生した記念の日、一つ年をとる日、それらを祝う日。 関係者にとってはかなりの記念日だと思うのだが、たまに産んだ親がその日を忘れてる。(ウチの場合) 忘れちゃいけない日、ではないと思うけど、その日を覚えてる場合には、その人が産まれたことを、祝ってあげるものだと思う。 でも、本人を含む誰もがその日を忘れてたら、その場合は誕生日がないってことで。 人が忘れただけで、誕生日が消えてしまうのだ。 それは別に悲しいことでも切ないことでもなく、ただ何もない状態になるってだけ。 その人はいつの間にかそこにいたってことになる。 そうなると、少々のアイデンティティ(=年齢)が消失する。 履歴書の生年月日/年齢の欄が埋まらず、各種面接に落ちる、かもしれない。 確固たる、存在し始めたことの証拠がなくなるのである。 何年生きてるかわからない。少なくても、物心つくまで何年かかってたのかということがまずわからず、正確な年が言えなくなる。 そう考えると、誕生日がないだけで、人は不思議な存在になりかねない。 そしてそれはちょっとだけ恐い。 だから誕生日って不思議だと思うのだ。
と、そう感じるのは、誕生日があることが、近年社会的に当たり前になっているからなのだろう。 あァ。最近の社会のシステムって恐い。まんじゅう恐い。カネも恐い。 ぶるぶる。
そういうわけで、ちょっとばかり考えてみた。哲学的ってゆーのこれ?(笑) たまには頭を使いたいと思うのでした。チャンチャン。 関係ないけど、1週間前まではちゃんとガッコウ行ってたのに、休み挟んだ後は行かなくなってるってどういうことよ。しっかり五月病なのか?あたし。 勤勉腐女子(笑)を目指すんだってばよっ。あーあ。
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