航海日誌

2004年04月09日(金) ぎゃー2

こんにちはこんばんは四亜です。

人は本当に驚いたり、怒ったりすると言語をとっさに忘れてしまうものだな、なんて思います。

そんなわけで。

今日は一つのことをテーマに語ろうかと。

志方のCDが来ましたvvv

えーーーーと、個人的には廃虚と楽園の方が進化しているし、クオリティも高い気がするけど、それはまぁ携わっている人の数が違うので、それも仕方ないかなと。

イゥリプカの言葉が中国語なのかどうなのかが気になる所です。
いやーそれさえわからない私って…(ほろり
英語には聞こえなかったしなぁ…。イタリア語が多かったから、そうかと思ったけど、あの発音は何となく中国語っぽい。(歌詞みたいなのは日本語だった。)

さてさて。

●儚きゆえに焦がれるのか。


今日のお題はこんな感じです。何故こんなになったかってーと、
「義経」を読んでいた所為です。(笑)
私は本来悲恋ものとかアンハッピーエンドは読まない主義なのですが、
こうまで彼に惹かれるのは何故かしら?
ところで、司馬という人は大阪の人なのですね、どおりで、関東のことを書くのが冷静です。関東の人間としては、なんとなく、なんとなく、「商人め…」という感じがします。(え?)
…いえ、商人の表現のあまりの上手さに。
西の人ごめんなさい。
歴史はよく学ばなかった私も、伊豆が舞台だけに、なんとはなしに、ああ、もしかしてあそこか…とか読みながら灌漑にふけっています。
ともかく面白く、確かにと頷けるので苦笑しか出なかったり、
まるであたかもその中に自分がいるような気分にさせられます。

両親の実家、父方は存じませんが、母方は確実に平家に連なる落ち武者系だったと記憶しています。
奢る平家は久しからず、ほんとうに、あのあたりに、「賀茂」だの、「六条」だの、そういった地名があるのは、都から落ち延びた者が都を懐かしんであるいは羨んで付けた名なのかもしれません。
妙な縁を感じながら、読み進んでいくと、本当に男というのは…。
これは私が女だから感じるのかもしれませんし、またそういう物語りに感嘆してしまっている私も、どうかしているのでしょう。
世が世であれば、幸せになれたのかと愚かなことを考えました。でも
たとえ今の世であっても兄妹で殺しあい、奪いあうことが起こるのだから、そう簡単にいくものでもないのだと思いました。

女の私から見れば、どれもこれもが「あはれ」だと思うばかりで。

そしてまた、現実に立ち戻れば人を殺すばかりで生涯を終えるような人たちが、この世界にいるのだと思うと、憤慨する前に何より「あはれ」と感じるのです。
人質問題には、正直どうするべきなのかよくわかりません。
兵を引いたところで、彼らの命の保証はありませんし、3日で引かせることは難しいと思う。それに、その要求をのむことが正しいことなのかもわからない。
それより、この時勢に軽率な行動をした彼ら自身にも問題があると私は思います。国が係わる問題に於いて、必ずしも不安要素となり得ないと言い切れない立場を作ってしまったことに。

それにしても、生身のまま焼き殺す、というのは人間の仕業ではありません。それはもう、人でないこれこそ悪魔と称するに相応しいのではないでしょうか。

私は国外のことより国内へもっと力を注ぐべきだと思うのですが。
内側から確実に腐敗しているのは確かなのですし。
その中の輝く何か、あるいは新しい何か、さえともすれば消えてしまいそうになる、今の世が本当に恐ろしく、
その上自らの身の小ささで、何ができるのかと、今はそればかりを思います。
人は使命あって生まれた、ならば私の使命とは何なのか。
そればかりを、考えるのであります。


●とまぁ、

誰ですかアンタ、みたいなことを書きました。
たまにはヨイでしょ。
散る、華の強さを、来年も華を咲かせる、その木の強さを、今は欲しいと思うのです。
儚さに毒されているのは日本人の常ですが。
諦めることと、死ぬことは似ている。
戦って死ぬことはない。
戦うことは死ぬことではない。
人を活かす戦い方だってきっとある。
理想論ですか。
でも、貫きたい。

人を蔑んだり、なじったり、そういう人が増えたり、
生んだらそれまで、みたいな人が増えたり、

それでは蛮族ではないか。それはもう人ではなく獣なのだと思う。
人として生きなくてはならない、そう思う。

それでは今夜はこのへんで。


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