| 2001年09月30日(日) |
SOME WHERE OVER THE RAINBOW(JUDY) |
というわけで今日のお題も我が愛しのジュディ・ガーランドから。
今日はいろいろ迷ったのですけど。 長島監督引退につき、この曲を選びました。
特別な日なのかどうかワタクシにはわかりませんが、ある一定の人々にとっては大切な、忘れられない一日になるのかもしれません。
こんな大切なことがあるのに、セレモニーがあるのに、儀式がおそらくとても安らかな、そういう場があるというのに。
何故この空の下で血を流す人がいるのかと思うと、哀しくなります。
女性蔑視はあそこまでくると単に民族性の問題ではないと思います。
今日、イタリーの職人の番組を見ました。 それでサンデープロジェクトでも言っていたんだけど、むこうの人にくらべたら日本人はなんて意識が低いのだろうってこと。 低い、高いの問題じゃないのかもしれない。これはもうDNAの問題だよね。 職人は好きです。 でもワタシはおこられたりするのが嫌いなので(もちろん叱られるのが好きな人は少ないと思いますが。)…職人技を得たいと思ってもそれはかなり無理な話なのですけれど。 もっと自分にこらえしょうがあれば、…いえ、実は最近ずっと考えていたことがあって。 具体的にはオーダーメイドの背広と靴のことをとりあげていました。
ゲストの手塚治の息子なる人が、最後に言っていた言葉がきになります。 「わたしたちは日本で下駄などをはいていたから、足がぴったり絞められる感覚には慣れていないのでしょう。」とかなんとか。
まさに。それやね。 イタリーでもお針子さんとゆーのが減ってきて跡継ぎに問題があるらしいんだけど、土地事体がそれに対する受け止め方が全然違うんだよね。
日本はただ、欧米のものを新しいものを取り入れ、それまで日本にあったものを削除する形で今までなしてきたけれど、そこで残った日本の誇れるものって何だろう?
ほんとはたくさんあるはずなのに、ちっとも浮上してこない。 それは変。
それと、すごいなぁと思ったのは、裁断、裁縫する際にもスーツ着て、革靴はいてるんだよね。あれ、かっこいいね。仕事の意識っていうかさ。考えてみれば昔から普段着としてほぼスーツを着ていたのだから当然なのかもしれないけれど、(もちろん作業には上着を脱ぐんだけど。)日本人がみようみまねで背広を着はじめたのは、つい最近のことだから、やっぱり外国人から見ると、外国人が着物を着てぎくしゃくした可笑しい感じに映るような、そういう風にワタシたちも見えるのかな、とか。
もっと手で作るべき作品が工業作品であってもいいと思うんだよね。 今は既製品が安ければ良いという感じでしか作られてないように見えるから。そうじゃなくて、お気に入りの服を大切に着るということ、服を着ることによって周りに対する意識が変わるということ。 そういう大切なことを置き去りにして、形ばかりが先走る。
今はそういう世ではないかと思うのだ。
もちろん、市場を独占的にする企業はどうかと思うけれど、ほんとうは、
誰かが親愛なる誰か。
に心をこめて作ったものだから、「生きる」そう思う。 物に心がないと? 物にも心はある。 いや、心というのかわからない。 その人が身につけて始めて「輝く」光りがある。 それは、多分作った職人と客…または親しい友人の間の一種の絆だ。 そうやって人がつくられていく。
綺麗ごとをぬかすようで悪いけど。
そうやって物を作れたら、この命が終わっても笑って死ねるような気がした。
涙が出るくらい、透明な光り。 光りが溢れてる。
そういう物をつくらなきゃ駄目だ。
……………
というわけでね。 ワタシやっぱり伝統工芸探そうかしら…………。(悩) だってねあーゆーとこって、師匠の技を盗まなきゃいけないし。 おまけに平手が来ても我慢とかいうイメージあるし。 そら、それは大切なんだけど。 絶対フラストレーションたまるってば!! 今のワタシじゃ間違い無く喧嘩うって帰ってきそうだよ。(涙ダメじゃん。) …………つまりさ。 度胸がないんだ。 覚悟しきれない自分がまだいるの。
それがね……。 多分自分の残りの生をかけて一世一代の大博打を打たなければならないから。それが恐いのかもしれない。 多分。そう。 恐いんだ、何もかも統べてすててそれだけに掛けるということがね。 …もう大分人生ギャンブラーだけどね。 もう一勝負残ってる。
さてさて、表が出るか、裏がでるか。 それもワタシ次第。
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