×××こぉんな日××× |
2001年10月10日(水) +++大失敗+++ 何度も言うようだが 理事長は太ってる。 昔は 50キロを切っていたらしい。 その頃の顔の2倍は 今はあるのだ。 この事を よ〜〜く頭に入れてから 本編を読んで下さい。 日曜日。理事長の仕事は 大阪のSホールでのコンサートだった。 指揮者は あの「宇宙戦艦ヤマト」の作曲者のご子息。 チケットは 全席売りきれだった。 演奏のお仕事ってのは ステージによって 衣装が変わるので ややこしい。 タキシード 燕尾 黒服。シャツもさまざま。 組み合わせも色々・・・。 朝 黒服とカッターと銀タイを用意した。 ふと見ると ズボンに穴が・・・。大慌てで 補修しアイロンを当てた。 この時点で 私は重大なミスを見逃していたのだ。 無事に送りだし 私とひなは おばーちゃんのお見舞いに。 車を飛ばしながらも 頭に大きな???が残っていた。 時間は2時頃「あ゛〜〜パパの ズボン間違えた。黒服のついのズボン クリーニングから戻ってきて 衣装ダンスの中!」 家に帰り調べると やっぱ 対のズボンは収納されていた。 色目を見ても 変わりは無かったので 心の中で手を合わせた。 ごめんよ〜〜〜! しかし その頃Sホールでは 怒涛の如く大パニックになっていた。 理事長が ゲネプロを終え 着替え様としたその時。 ズボンは 明らかに小さかった。それもそのはず 約10年前 今の顔の半分の大きさの頃の サイズのズボンがそこにはあった。 そうなのだ。先日 仕事場から10年前のズボンを持って帰って 置いてあったのを 私はそのまま クローゼットにしまった。 それを そのまま 持たせたのだった。 理事長は青ざめ ステージマネージャーに変えがないか聞いたらしいが 誰も 衣装を余分には持ってこない。 ズボンはない。しかも 今日はシンセ ピアノ チェレスタと3つも 楽器移動がある。 しかも グランドピアノは中央。しかも 宮川先生の古希のお祝いで ご家族が見えてる。取材人も来てる。 当然 違う色のものははいて出れない。 オケの方に 手伝ってもらい 無理やりはいたズボンは どこかのパンク小僧のように ぱちぱち。 (手伝ってもらわないと はけなかったというのが 味噌だ。) ウエストなど 通したベルトがぐるんぐるん回るほど・・・。 いわゆる纏足のような ズボンのウエストになったわけだ。 本人いわく 「腸が切れるとおもった」らしい。 ステージ上を移動するたび ズボンが破けやしないか 汗を掻き オケの方々も 笑いながら頑張れ!と 言ってくださったらしい。 宮川先生親子がトークされてる間も あれほど時間が長く感じられた事は 無かったくらい 長かったと・・・。 家に帰って 再現してくれたが ぴょンぴょン飛びながら はくその姿に 申し訳ないが 転げまわって 笑った。 「あんたは しあわせもんや」と飽きれたように 言われたが ホントに 笑えるから しあわせもんかもしれない。 超有名なSホールで 腸の断絶状態に 耐えながらピアノを弾く人は 彼だけかも・・・。くっくっく・・・・。 さて その日以来 彼は 狂ったようにご飯を食べてる。 ダイエット〜〜と 言いたいが 多少罪の意識のある私は それを 言い出せない・・・。 顔が 3倍にならなければ良いか・・・。 くっくっく・・・。 |