あごあごしい日々 

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 +日曜日よりの使者(2)+

先ずはCLAPレスから。
ハラマキ王子のペナルティ話題より。

●アレがミハエルだったら
 真っ先にペナ喰らってたんだろうなと
●アレがミハエルだったら
 真っ先にペナ喰らってたんだろうなと
●アレがミハエルだったら
 真っ先にペナ喰らってたんだろうなと
●(ry

ちょwww

●あんな危ない事してたら
 ミハエルのモナコトンネルの様に
 モントーヤアタック喰らうぞと思った
●あんな危ない事してたら
 ミハエルのモナコトンネルの様に
 モントーヤアタック喰らうぞと思った
●(ry

まっwww

日本GPにミハエルが来ると
誤報(笑) 流した時、ズラリ並んだ

●キミが勝てない
●キミ\(^o^)/オワタ!!!

コメント見た時も思ったけど…

アゴヲタの考える事は
皆一緒ですかっっwww

お ま い ら 愛 し て る (・∀・)


それと予想以上に多かったのが

●斜め上のサイト復帰理由に笑ったw
●どんな理由であれ、
 戻ってきてくれて嬉しいです、

てーなCLAPの多さですかね…。
・゚・(ノД`)

私はもう、ミハエルが居た時のような
あんな日記は自分で書けないと思う。
その時の悪い意味での輝きは、
失ってしまったと、自分でも思う。

私自身、まだ
今のミハエルの居ないF1と
どう付き合って良いのか解らないのだよ。
だから完全な復帰は有り得ないと思う。

でもまあ、目標は出来た(笑)
来年ツンデレキミたんに、日本人として
お詫びのお礼参りしたいしな!!!
まあトヨタが改心するとも思えないので、
体調と運営の有様を充分に比較して、
苦渋の決断(行くとしてもあくまで苦渋)
するとは思いますけれどもさ( ´∀`)

一応、F1ヲタは継続ッスよ(笑)

◆◆◆

2007年日本GPは…と
いちいち書くのが面倒臭いので、
これからは【トヨタGP】と呼称しますが。

あんまりにもあんまりな運営の為、
【行ったお客さん】が苦しさを
日記やblogにしたためるだけではなく

マーシャルや交通整理の
バイト君達が、惨状を告白してる辺り、
鈴鹿じゃ考えられない事態だと思います。

金曜日に既にバリ君が
『マーシャルの対応おせーよ!!』等
苦情を言っていたりしましたが。

一部観客の人の話では
『決勝のアロンソクラッシュでも
マシンの撤去が遅かった上
パーツ残したままレース再開してた』
『雨で浮いたパーツをレインタイヤで
踏むから((((((;゚Д゚)))))して見てた』

なんてのも上がっていて
工エエェェ(´д`)ェェエエ工
でしたけれども。

けんさわさんのblogコメントに
こんな事が暴露されておりましたよ…。

《以下引用》

友人が、F1@富士でマーシャルの
メディカルやりました。かなり苛酷な環境でした。
木曜からの拘束期間は、御殿場の健康ランドの
仮眠室で雑魚寝。まずこれからして有り得ない。
そして彼らも駿河小山からシャトルバス通勤。
(かろうじて専用バスではありましたが)
しかも、半分くらいがトヨタから強制派遣された
関係会社社員。なんか世界陸上のボランティアで
聞いたような話ですな、ここも。
人間の数がF1規格に対して決定的に足りず、
そのようになったようです。
そんな寄せ集めの彼らの多くはサーキット内
通路の構成も知らず、何をして良いのかもわからない。
だから、既存のマーシャルが自分たちの仕事に加え、
彼らの「子守り」までしなくてはいけなくなった。


《引用終わり》



やばい…
封印したあの言葉を…
英語ならFのつく、あの言葉を…
また叫びそうになりましたぜ…_| ̄|○

シャトルバス係の派遣君が
書いた日記を読んだ時も、
我が目を疑ったけど。

※朝礼?が「予算が7割に削減された為
 10人の仕事を7人で回すように!!」
 てーな文が載ってる、アレね。

マーシャルってさー
命扱う仕事と思うのは気のせいか?

そのインフラで、あの荒天で
ドライバーにレースさせたんだね…_| ̄|○

うあぁぁあぁあぁぁ(泣)

◆◆◆

とまあ、トヨタGP in
不治スピードウヘェの酷さって
時が経つほど、嫌気さしてますが(;´Д`)

昨日の日記でも書いた通り、
鈴鹿だって、レース観戦はサバイバル★
ワタシ如きの観戦歴7年でも、
今回の不治スピードウヘェで起きたような
トラブルは総じて体験済みなのです。

それでも私は、鈴鹿は“神”だと思う。

確かに敵失つーか、富士のあんまりさで
祀り上げられてる感は有りますけど、
けんさわさん@カート人であり
カメラマンとして、深く関われる人で
無くても、感じる神は幾らでもある。
観戦してても、それ位は解る。

7年間の出来事を補足してみよう。


●2000年・初観戦
 稲生駅車両事故で不通事件
 冷たい土砂降りの中、2-3時間…
 だったか、たちんぼで電車を待った。

まあ、これは鈴鹿の落ち度ではなく、
伊勢鉄沿線で起きた、踏切事故の所為。
単線なので、上下線とも不通に(;´Д`)

サーキットから駅に下る坂道全体に
人が渋滞して溢れる大惨事(でも道は舗装)
運悪く私は、列の前の方で巻き込まれた為
人並みで引き返す事も出来ない有様。

まあ、伊勢鉄のおっちゃんが
拡声器で声張り上げて、踏切事故ー!!!!
と、叫んでたので、ハラ括って
復旧まで待ちました(;´Д`)

決勝でミカとミハエルの明暗を分けた
小雨は、いつの間にか冷たい土砂降りに。
カナーリ惨めな事になったのですが。

この時のシューマッハFanは
幸せすぎて、苦痛すら良く覚えてない!!!
てーのが実情なんですがwww

伊勢鉄のおっちゃんが
「電車来ましたーーーー」と言うと
おおぉおおぉぉぉ!!! と声が上がり
「でも2両ですーーーー(泣)」と言うと
あぁああぁぁぁ〜と、落胆の溜息が
漏れる一体感だけは覚えてます。

名古屋で終電を逃し
帰れない難民は居たけれども。
私は確か23時45分頃
上野に着けた為、無事帰宅できました。

●2001年
 FIAの突然の決定で
 ピットガレージ順が180度入れ替わる。
 跳ね馬ピット前の席がミナルディに!!事件

FIAの突然の決定だった為、
ピット並びの変更が鈴鹿に知らされたのが、
1〜2週間前だったと思います。
勿論私たちのように【ピットが見える】を
狙ってを取ったFanは、混乱(笑)
     ↓
鈴鹿サーキットの対応

差額を払えば、Ferrariピット付近の
席とチケットを交換します。
ただ、もう席はだいぶ埋まってるので
良く見えるとか、真ん前は無理ぽ


世の中はまだ、タク祭前★
いくら鈴鹿といえども、直前でも
グラスタ席は売り切れなかった
古き時代のお話しですなぁぁぁ(;´Д`)

つか、この対応は
不治スピードウヘェには
真面目に出来ないと思うんだ(爆)

鈴鹿は「観客が何を目的に来ているか」を
色々知って居るんだと思いましたさ…。
ドライバーばかり見に来てる
しょーもないFanにも、便宜を図るのが鈴鹿。

つーーーーーーーか!!!!
鈴鹿の【より高い指定席券を
持ってる人は、価格の安いエリアに
入りたい放題】ってシステム自体
神だったと思う。

F1生観戦は、3日間同じ場所で
同じアプローチするマシンを
ずっと見るのではなく、色々なところで
色々なラインを見てこい、お前ら!!!!

これは正直スゲーと思ってます
(;´Д`)ハアハア

身体壊してから、アレなんで
今もこの秀逸なシステムが
生きてるか解らないけどさ(´・ω・`)

場内当日エリア指定券とか
タク祭時期、確か辞めちゃったしなー。

●2002年
 第1回、シューマッハ団扇配布
 第1回 佐藤タク祭開催(笑)

この時の鈴鹿の盛り上がりは異常。
観客席の旗振りとどよめきで
タク豆柴が何処を走ってるか解るwww

この年、Ferrari最強★
勝てない差を付けられてWilliams。
以下マクラーレン。その下団子(雑魚)
みたいなシーズンでしたから…

タク豆柴の予選7位は、雑魚のトップ(笑)
決勝5位は奇跡でしたからねぇ…。

珍しく空気読んだ
ミハエル“余裕”シューマッハが、
タク豆柴のマシンを、ラップダウンにせず
ストーカーのように(嘘)後ろを走った為

※一説にはタク豆柴で揺れるスタンドを
 見ながら走ってたと言われる。

ミハエルがチェッカー受けた後、
コースの最後まで留まり走ったのが
タク豆柴。ウイニングランのようでした。

「鈴鹿のもう1人の勝者は佐藤だ」
とか、顎も別の意味で全開でしたな(笑)

●2003年
 特になしだったと思う。
 主にトラブルはミハエルに起こってた。

そのタク豆柴にシケインで
フロントウイングを踏まれてしまい
危うくWチャンプ取り損ねそうな
事態に陥る、ミハエルさんでした(;´Д`)

●2004年
 台風直撃で、土曜日キャンセル

これも鈴鹿の対応は“神”でした。
早々に土曜日の全キャンセルを発表し、
サーキットをクローズド★

鈴鹿は野宿してる人も沢山居る為、
その人達の避難所を確保。
ボーリング場等、場内施設を開放し、
それでも足りないとなれば、体育館だか
公民館だかを借りてきて無料解放。

野宿組は元から軒下とかで
寝袋で寝るのを覚悟してるよな輩なので、
屋根さえあれば、寝具は要らない?!?!!
兎に角、安全最優先の措置が執られる。
しかも迅速に。
大きな混乱は遂に聞かなかった。
(台風直撃で2●hにはスレが立ったのに!!)

しかし、土曜日。
雨は降ったが、台風の直撃は無く
午後より小雨の天気となる。

するとF1ヲタは馬鹿だから(褒め言葉)
閉鎖されてると知っていても
サーキットに集まってしまうwww

鈴鹿、急遽ゲートオープン★
サーキットを開放する。
勿論売店も開いて買い物も出来
ご飯だって食べられるてな、完全解放!!

ここでボーリングをする
ミハエルや、クアハウスに入るヤルノ等
飛んでもない目撃談が多数生まれる。

◆◆◆

タク祭が最高潮となり
エリア指定席券とかも廃止だったはず。
色々と移動しづらくなった印象。

F1レースが終わっても
指定席エリアが開放されず…
Ferrariピット前の席で、ティフォシが
ゆーかアゴヲタが、係に通せんぼ。
ちょっとした押し問答になる(笑)

まあ、ゲート係員は
「入れるなと言われてます」って
対応だったので御座いますが…

そこに何だか、ニコニコとした
スタッフのお兄さんが登場★
双方から事情を聞くと、
ケータイか無線かで、上に報告。
なかなかOKは出なかった物の

「みんな集まっちゃってるし
可哀相じゃないですか!!」
「上がその上に話しに行ってます!!」
「もうちょっと待ってて」
「許可出ました! 入って良いですよ!」

なんてやり取りの上、指定席解放★
あの時彼はヒーローだった…

鈴鹿は「観客が何を目的に来ているか」を
色々知って居るんだと思いましたさ…。
ドライバーばかり見に来てる
しょーもないFanにも、便宜を図るのが鈴鹿。

●2005年
 体調不安により、決勝日は
 名古屋までの高速バスを使う。
 鈴鹿市内の交通事故で、バス缶詰。
 下呂温泉地獄?とか体験する。

この時、乗客同士協力して
簡易エチケット袋を作ったのだが
みんなが一斉に?!提出したのが
トヨタ+auのビニール巾着と
トヨタ新聞だったのは、ナイショです。

●2006年
 有難う鈴鹿・有難うシューマッハ。
 第2回、シューマッハ団扇配布
 うちわに人が集まりすぎて
 あわや将棋倒しとか云う事態になり(爆)
 鈴鹿の係員が飛んでくる(←優秀)

あのうちわ配布のグダグダさ加減は、
今にして思えば、ワタクシこそが
2006年のトヨタGPってな酷さでしたな…。
今思い出しても申し訳ない_| ̄|○

つーか、本当にすぐ
鈴鹿の係員様は飛んできましたよ…。



つーか(;´Д`)
アゴヲタはしょうもないな!!!!!!
てな、行動原理はさておきまして(笑)

鈴鹿はその馬鹿らしささえ
呑み込んでしまう、度量がありました。
其所に居る人がどうすれば喜ぶのか、
考えて行動出来る、スピリッツがあった。

勿論そう言う物はイラネーよ!!
日本GPなんて、F1さえ見れればいいと
考える人も居るとは思います。

そう言った意味では
鈴鹿も富士も大差はないでしょう。
むしろ設備の新しい富士の方が
快適なのかも知れません。

でもな。私は
秋雨前線による今年の富士の前に
かなり被害の出た台風を受けた
鈴鹿を見てるからねぇ。

どうしても、
今回のバス待ちの件は
アナウンスも情報もスタッフもない
シャトルバス待ちの件だけは
鈴鹿なら起こらなかった気がするんだ…。
救護室だって定時で閉まる事は
無かっただろうと思う。

そう言う意味でなー
やっぱ鈴鹿は凄かったんだよ…。
20年もやってたから、いつの間にか
「それが当たり前」に成ってたけどさー。

運営が変わった事により
日本GPが全く違う様相に成って。
あれは当たり前ではなく、
大変に素晴らしい物だったんだなと。
美しい物だったんだなと。

去年、鈴鹿の決勝終了後
「See You again!」の文字を見た時、
ここには5年戻れないと覚悟したけど…

また再来年。
再来年があると思うのがねー
今はとっても救いです。

恩返しに行こう。
F1大好きです、鈴鹿大好きですって
気持ちを持って、恩返しに行こう。

これは苦渋ではない決断ですな。



2007年10月12日(金)
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