2010年05月30日(日) |
問:もし、突然、声が出なくなってしまったら? |
答:ワタクシならば筆談します
昨日、ワタクシが敬愛する“みっちー”こと及川光博さんのライブがありました。 『How beautiful,We are』ツアーの千秋楽。そして、デビュー15周年を記念するめでたい日です。 今ツアーのモチーフになっているのは『人魚姫』 端的に言えば“言わなきゃ分からないでしょ!? 何があっても伝えなきゃ”です。(ワタクシの印象では)
皆様ご記憶にあるのは、声を失った人魚姫が、自分の感情を貫き一目ぼれした王子を愛しぬくという感情を、はた迷惑を分かっていながら押し通します。ええそんなだからこそ、童話の主人公。人魚一族の末姫は自分の魅力・個性を重々分かった上で、やってます。あの行動、やってます。狙ってます。 声がなくても、ボディランゲージがあるもの!! といわんばかりです。そんな童話です。
しかし、大人になって手に入れた、『人魚姫』から受ける印象は、一途と我侭は紙一重。そんな感じです。(あくまでもワタクシの個人的印象です) しかし、そんなギリギリ感だからこそ、皆が惹かれる事もあるのでしょう。
昨今、“言わなくても分かってくれなきゃ、言う自分が恥ずかしいじゃない。察してよ”みたいなコミュニケーションを求める未熟者が多くあり、心のうちでは、 「察してよ、なんて虫のいいこと考えてるのか、あんた。そう出るのなら、天然ボケを貫き通して、極一般的な社会人では受け答えが出来ないボケを発言してやるよ!!」とS気質がムクムクと動き出します。 そして、S気質突っ込みを、筆談で展開します。ワタクシならばね。
本能に直結する感情を誤魔化し、世間体のみに善き人として対応するコミュニケーションを用いる相手なら、声が出なくてもいい。筆談するから。いや、筆談すらも行なう気は起こらないかも。 そんな相手に、声でのコミュニケーションをやり取りするつもりなど毛頭ない。 だって生物は、自分よりも上位のレベルと付き合いたいのだもの。
みっちーとワタクシたちベイベー達との「愛の絆」の頑丈さは、解くのは野暮天、ってくらいミッチリ、ガッチリ濃く、くどいのです。
しかし、声が出なくなってもコミュニケーションの手段は途切れておりません。 伝えたい事柄にも拠るだろうが、声が出なくても、コミュニケーション・伝達手段はなくは無い。
ここで、レベルアップしなくては!!
……相手は!?ですって。 そいつは……またの機会にってことで。
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