12月13日、土曜日の朝刊で知った。作家、都筑道夫氏の訃報。
高校生の時に初めて氏の作品を読み、もともと好みの傾向にあった時代小説、ショートショートという形態の文章、それ以上に、都筑道夫という作家が出す作品に大はまりとなった。
以来、古書店に入る度に氏の作品を買い求めるようになった。そして、いつかは全著作を求めようと丹念に『つ』の棚を捜しているのだ。ところが、これがなかなか難しい。 地道にノンビリと追っているせいもあり、まだまだ28冊しか、手に入れていない。なにしろ、全著作はどれだけあるものなのか見当が付かないのだ。シリーズ物も多い。エッセイ(?)もある。数を追うだけでも大変。 中には、絶版になっている作品もある。手に入れられない作品もあるという事だ。
都筑道夫作品で知ったのは、言葉が持つ豊かさと危うさ。表現としての見せ方と隠し方。 語彙の豊富さで、全てを明かすことは勿論だが、隠したままでも明かすことが出来る。伝えることが出来る。 それが出来るのも知識の確実さから。不確かな知識、資料だと明かすのも隠すのも中途半端になってしまう。知らないままぼかす言葉と知っているがぼかす言葉の差は大きい。 言葉の扱いだけでなく、作品中の世俗も分かる。 確かな資料、確実な知識を素として、作品作りをしているという都筑氏を信頼している為に、ミステリーなのに風俗誌を読んでいるかのような、楽しみがある。 都筑作品は、とてもお得である。
そのお得作品を読み続けることは、ワタクシのライフワークになるだろう。なにしろ、全著作はどれだけあるものなのか見当が付かないのだから。
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