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■ 東京。
東京ソングライターズクラブ っていう団体の
オープンマイク(対バンみたいなライブ)に、出てきた。
池袋の とあるライブハウス。
10分っていう 短い持ち時間だったけど オリジナルな活動を やっとスタートした、って感じ。。
全曲自作で、
ピアノソロ1、弾き語り曲1、自作オケ+ヴォーカル曲1。
自分を表現する時間が持てたのは、すごいハッピー。
ここは、すごい 実力派がそろう 真面目な団体。
代表の方が ものすごく、恐ろしいほどに(笑)良い方で、
きっとそのお人柄から、素晴らしい人が集まってくるみたい。
作曲家として オリコンチャート10位以内に入る人とか、
スマップの曲を作ってる人とか、
ポンキッキーズの「謎のやさい星人」を作った方とか、
アーティストとしてCDデビューした人とか
活躍が目覚しい。
1曲、その団体の代表の方が
「すごくいいから、売り込んであげようか?」
って言ってくれた。
その曲は、「今年はCDを作って、手売りで地道に頑張ろう、、」
と 思ってた曲だったから
とっかかりが出来た。嬉しい。
本気出して 創作活動しよう、って気になれた。
それと同時に、上京するちょぃ前、
10年間やったチャペル仕事に とうとうピリオドを打つ電話をした。
時給にすると かなり割がよく、内容もループワークで
安全な仕事だったから、ずるずると続けて来たけれど。
危険を冒してでも、時間と自由を作りたかった。
時間は 土日だけだから ともかく、
その団体の人間関係から、逃れたくて仕方が無かった。
価値観が合う人が 多くなかったから・・・。
彼女達は、自由や実直さを犠牲にして、
経済的豊かさや地位の安定を得ている人たちに見える。
それを守るために、
人としての誠実さや純粋な感性を踏みにじったり、
自分達の栄養として吸収したり、
騙して奪い取ったり、・・・・・
私には、彼女達に そうされているように、感じてしまっていた。
それは、自分の態度が あいまいだったために、
つけ込まれてしまっていたんだろうけれど。
同僚の彼女達に限らず、
ホテル業界の独特の階級意識も、私には合わない。
黒服さんは 厨房の人や 出入りの業者を見下していたり
逆に 常務取締役系の人が通ると かなりかしこまっていたり。。
「それぞれの持ち場で、仕事する人」
で いーじゃん。
だから、差別的な目で見る 上の人たちより、
じっくり 自分の抱える仕事を 誠実にこなそうとする
マッサージや掃除のおばちゃんや、警備員さん、厨房のコックさん、
そういう人達の方に、親しみを覚える。
人に 「上」 も 「下」 も ない。
そんな単純な事が、私の周囲には
わからない人が、多すぎだ。
でも、人には 階級などなく、一緒に それぞれの事を頑張ろう。
そんな 「同じ目線」の価値観の人たちも いるんだ っていう事が
ちょっと 見えて来た。
動けば動くほど、ステキな出逢いが舞い込んで来る。
だから、やめた。
価値観の合わない人達と 無理に過ごそうとするのを。
でも 月平均8〜10万円の仕事を放り出したので、
正直コワイ。
他の仕事も、何一つ保障なんてないから。。。
東京のライブに出て、
それぞれのパワー溢れるパフォーマンスを見て、
ああ、表現の自由って いいな、って しみじみ思った。
クラシックコンサートに 出てた頃に
自由なんて カケラくらいしか なかった。
アート というよりは、
昔の遺産を「再現」する 職人。 そんな感覚が強かった。
私は それが全然苦手で
結局は 自分の感じるままのショパンや、ドビュッシーなんかを
無理やり 自由に 弾いてた。
楽譜に書いてない事をしたり、音を耳コピーで弾いて 間違ってたり。
クラシック界では、こういうのは「不誠実」って怒られる。
でも、ポピュラー界では オッケーオッケー。
「自分はこう思うンだもん」
が 通用する世界。
私は、ダンゼン こっち側の人間だ。
勝手に 独りよがり、っていうんじゃなくて、
自分&聴く人が、心地よくなれる、そんな音楽を
「自分が」作り出す。
そういう人に なりたかった、、 みたいだ。
2004年03月15日(月)
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