2015年03月03日(火) |
この半世紀(3) 電話 -その2- |
携帯電話の普及はあっという間だったように思います。
IDO 電話を手に入れるのに6万円近くしたのですが、交換用のバッテリーはいくらしたのか、、覚えていません。 その予備バッテリーは最長のものにしたので、それを装着すると不格好な上に重たくなってしまいました。 通話料も数秒10円という凄まじい高額料金でした。
その最初のケータイから1年経たぬうちだったのか、1〜2年のうちだったのか、ガソリンスタンドなどで、初期費用0円の携帯電話を配布し始めました。 もちろん希望者に、だったのですが、入手時の数万円がなくなって、とても手に入れ易くなりました。 私も、この際ついでだから、、という軽い気持ちでその0円ケータイも手に入れました。 部活動などの生徒引率時に部長にでも預けておくと、生徒たちの遠隔操作が楽になります。 そのケータイは、最近のボーダフォンやソフトバンクの系列の、当時は確か東海デジタルフォンと呼んでいた会社のものでした。 こちらにはすでにメール機能がついていました。 しかし、同じようにメール機能を持った携帯電話の所有者が身近にいなかったので、めったに活用できないのでした。
それからケータイが高校生、中学生へと入り込んで行くのに数年はかからなかったし、10年もしないうちに最大のターゲットは若者たちや子どもたちになってしまったのではないかと思います。 その理由は、通話機能よりもメール機能であり、最近定着して来たラインやツイッターやフェイスブックなどのSNS 機能でした。 そしてさらに進化しつつあるゲーム機能でした。 つまり、最も本質的な機能であるはずだった「電話」という役割よりも、その他の機能を備えつつ魅力をアピールし、進化を続けているということになります。
私は、20年ほど前、1クラスあたり3〜4人くらいの生徒たちがケータイを持ち込むようになったころから、校内での規制はもちろんのこと、国単位での規制を切に望みました。 学校に持って来ていいかどうかなんてレベルではなくて、開発や生産から販売まで、締め付けなきゃダメだ、ということです。 小・中・高校生が持ちたくなるようなものを開発しないように、という意味まで含んでいます。 たとえそういうものができあがったとしても、いわゆる18禁にしてほしいという意味まで含んでいます。 そうでないと、多くの高校生はとんでもない生活を送ることになってしまう、というのが私の不安でした。 もうすでに、ゲーム機の氾濫で男の子たちの生活はとんでもないことになりつつあったからです。
ま、しかし、日本の政府にしろ官公庁にしろ、何百万人のデモで抗議したって、そんなことを規制するわけがありません。 儲け主義を放任して経済競争を奨励するのが常ですから。 結局は、アプリをインストールすることによってさまざまなことができるようになり、お得な料金形態をさまざまに工夫し、家族みんなが持つと一番得だという形に進化して来ました。 価格競争も便利競争もまだ延々と続いて行くのでしょう。
それにしても、いつでもどこでも通話ができる電話があったらなぁ、、、という夢は若いころ見ていたはずなのですが、その夢がかなったと思うや、あっという間に電話はとんでもない進化を遂げてしまい、まだ進化を続けようとしています。
我々には電話にまつわるとても懐かしい思い出があります。 好きになった女の子と話したい、あるいは、会う約束をしたい、、、、そんな時に親にわからないように電話する時のたいへんだったことといったら。。 幸い居間に電話が置いてあるわけではないにしても、その部屋を親が使ってる場合もあれば、親がすでに電話を使ってることもある、あるいは、いつ入って来られるかわからない。 うまく電話を先に使うことができずに、それだけで1週間以上を費やしたこともあったりして。。 やっとのことで電話すると、出て来たのは父親という場合は本当に緊張したものでした。 また、それを想像して、そう軽々しくは電話できないという気持ちもありました。
電話ひとつするために、家族の動きに深く気をくばり、冷や汗びっしょりの緊張を強いられる、、、あの実に不自由で、ままならない、困難だらけの体験を思春期の若者たちから奪ってしまっていいのでしょうか、、?(笑) それは、もちろん、ラブレターについても言えることでありますが。。。
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