2015年03月01日(日) |
この半世紀(1) 三種の神器 |
この半世紀余は、いろいろな意味でとてもおもしろい時代だったなぁと、つくづく思います。 まずは、代表的電気製品である、洗濯機、冷蔵庫、テレビですね。 これらの電気製品を「三種の神器」とお呼びしていた時期もありました。 これらが人間の生活の中に登場して来たこと自体、実に画期的なことだったのですが、登場以来およそ半世紀の進化・発展も驚くべき速さでした。
私が最も懐かしく思い出すのは、洗濯機に付いていた洗濯物を搾る装置です。 水色っぽい2本のローラーが付いていて、その間に洗濯物の端を挟んで回してやると、洗濯物がぺしゃんこに搾られて反対側に出るというものでした。 いくらくしゃくしゃになっても、乾かしてアイロンをかける手間は同じなので、手で搾ることと比較すれば労力も能力もとても優れた機能だったと思います。 あの搾る機能はすぐに脱水機能に変わり、乾燥機の併用も行われ、我々が大学生になり、下宿やアパートで1人暮らしをしなきゃならなくなったころには、コインランドリーがあちこちにできていました。 今は洗濯機のどんな部分の進化を争っているのでしょう?
冷蔵庫が我が家にも入って来たのは、小学校3年生のころだったと記憶しています。 まだ冷凍庫などというものがなく、製氷室に製氷皿が2つ付いていて、氷が作れる、アイスキャンディがしばらく保管できるだけでもすばらしい機能に思われました。 大学の4年目だったかに、品川区の戸越銀座あたりのアパートにいたころ、とある電器屋の裏にあった古い冷蔵庫が目に入り、5千円で売ってもらいました。 ひどく小さく見えましたが、十何年か前、我が家に初登場した冷蔵庫と同じものだったに違いありません、、、、今となってはオンボロ冷蔵庫とはいえ、やはり、あるのとないのとでは天地の違いがありました。 そうして手に入ると不思議なもので、兄が一人暮らしを解消するのでいらなくなった冷蔵庫を送ってくれました。 やはり小ぶりだけれど、冷凍庫と冷蔵庫が分かれたグリーンのまだきれいな冷蔵庫でした。 いらなくなった冷蔵庫は、部室に行って声をかけるとすぐに貰い手が現れ、車で引き取りに来てくれるなら、と50円で売りました。 最近の冷蔵庫の進化の争点も、もう我々にはなかなか理解し難いところで行われていますね。
テレビの進化というものも、振り返るとすばらしいものだったと思います。 我が家には私が3〜5歳のころにテレビが入ったと記憶していますが、あれはたぶん父が警察官で、村の駐在所だったからではないでしょうか、、、、とにかく人の出入りの多い大きな家で、一階の表には駐在所の事務所があるのはもちろん、2階には村人の宴会場みたいな部屋もありました。 あのころ見ていたはずの「ナショナルキッド」「怪傑ハリマオ」「七色仮面」「少年ジェット」「まぼろし探偵」「月光仮面」など懐かしく懐かしく思い出すのですが、実際今になってどこかのバラエティ番組の特集で再現してくれたり、YouTube にアップされたりしている映像を見ると、あまりの素朴さにびっくりしてしまいますね、、、、とりわけ、まぼろし探偵の留めゴム付きのとんがりめがねには驚きあきれてしまいますが、子役時代の吉永小百合とおぼしきかわいい女の子が見られるので、とても貴重な映像でもあります。 あのころ、他に相撲はよく見ていた、というか、テレビのある家ではたいていどこでも相撲中継の時間は相撲中継をつけっ放しにしていたという方が正確かもしれません。 その後、父が駐在さんでなくなってからテレビはどうしたか覚えはないのですが、東京オリンピックのころにはちゃんと家にもあったのを覚えています。 あのころから、一家に1台という普及率になったのでしょうか? 我が家でもやがて2台置くようになりましたが、やがて一家に複数台はあたりまえになり、下手すると1人1台、、、、私が教員になったころには、子ども部屋にテレビは必需品と考える親もいてびっくりしました。(まあ、そんなのは、当時はびっくりでも、後の電話の発達を思えば小さな問題だったといえるのですが、、、、) 小学生のころには我が家にもチャンネル争いなるものが時折はあったものの、中学生のころからはそれほど熱心にテレビを見ることも少なくなりました。 私の場合は音楽を聴くことに夢中になり、本を読むことにも熱心になったりしたためではありましたが、テレビとのつき合いがまったく絶えてしまうということはその後なかったですね。 近年驚かされるのは、テレビの画質と録画機能です。 画質は鮮明になり、ほとんど本物に近づいてしまいました。 一昔前の古い映像を放映されると、よくこんな画面見てたものだなぁ、と思わされますね。 テレビの今後の課題は何? 立体映像ですか?
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