TENSEI塵語

2007年08月06日(月) 原爆をめぐるいろいろの思い

前任校の修学旅行で広島に3度ほど行ったのは幸運だった。
旅行が好きなくせに出不精の私は(とにかく時間が取れん)、
そういう機会でもなければ、未だに一度も行っていないかもしれない。
その広島コースには、秋芳洞や萩本陣の露天風呂というおまけがついていた
から、さらに幸運だった。

アメリカでは、広島・長崎に原爆を落としたのは、
戦争を早く終わらせ、犠牲者を減らすために必要な正当な行為だった、
という教育がなされているそうだ。
今夜のニュース番組「ゼロ」によれば、
25人の教師が集まる会で、そう教えている教師は24人だと言い、
ある教室の講師として招かれた、原爆を戦艦で運んだひとりは、
子どもたちにそう語り、原爆を運んだことを「誇りに思う」と語った。

「ゼロ」のキャスターのひとり、嵐のメンバーの櫻井が、
(なんでこんなのがキャスターやってるんだ?? と思ってたけど)
きょうはいいことを言っていた。
「これはキノコ雲の上での論理なんですよ。
 キノコ雲の下で何が起こっていたかを知ったら、こんなことは言えない」

広島・長崎に対する日米の認識には溝がある、という趣旨だったが、
こうさせてしまったのは、終戦間際の日本政府や軍部の責任である。
とにかくまず、大本営発表の罪がある。
国民には真実を伝えず、あちこちでの大空襲になすすべなし。。。
敗色濃厚になっても、本土決戦・一億玉砕などと謳って、
民心を鼓舞し、対外的にはあくまでも挑戦的な姿勢。。。
後から冷静に見れば、やけくその軍策というべきものだったのだけれど、
2つの原爆はさすがに大打撃だったらしく、ついに降伏した。
そういう流れを見れば、アメリカのような見方もやむを得ないところがある。

しかし、あの原爆投下はアメリカの「実験」だったという見方もある。
実験のいい機会だったという見方である。
そう根拠の薄い見方ではないようである。
もしそうだったら、本当に許せない凶行である。

アメリカでそういう教育が長年に渡って続けられてきており、
そういう教科書もちゃんと出ているそうだが、
日本の政府がそういう現状に抗議したことはなかった。
日本の教科書検定や首相の靖国参拝などなどについて、
周辺諸国から敏感な抗議が来るのに対して、
日本政府は、そういうことには甚だ鈍感である。

実際のところ、戦後政治を動かして来た自民党の政治家たちは、
戦争の悲劇、原爆の悲劇といったことに対して鈍感なのだ。
それよりも、アメリカの戦後処理に対する感謝の念が優っていたのだ。
そういう人たちによって戦後政治が操られてきたのだから、
平和主義も耄碌せざるを得なくなってしまったわけだ。

だから、戦後62年にもなって、やっと首相の口から、
被爆者の救済について専門家の委員会で見直す、という言葉が出るしまつ。。
もちろん、選挙で大敗し、内閣支持率も25%未満に下がってしまったから
こういう逆風緩和の言葉を発信せざるを得なくなっただけのことである。
(本質的には、被爆者への思いやりより、自己保身という意味である。
 それほどまでに、庶民の運命に対して鈍感なのである)

アメリカ的な見方にも、状況判断として一理あるとは思う。
しかし、そこでとどまってしまうのは間違いである。
そんな生易しい悲劇ではなかったのだということを、
しっかりとアメリカの若者や子どもたちに伝えて欲しいものである。
そして、自国が核を保有するということは、
また、さらなる悲劇をひきおこす可能性を孕んでいるのだと、
しっかり認識できるような教育をして欲しいものだと思う。
そういうことを世界の国々に訴えていくのが、
被爆国日本の政府の、最優先すべき義務なのではないかと思う。
自民党は、そういう点では、呆れるほど怠け者の与党を続けてきた。


 < 過去  INDEX  未来 >


TENSEI [MAIL]