TENSEI塵語

2004年07月16日(金) さあ夏休み

終業式は来週の火曜日だが、もう気分は夏休みである。
そんな解放感がある。
明日も休日なのにいつもと同じ時間に出かけて、
高校野球の応援団の子たちを球場に乗せて行かなきゃならない。
終業式後の夏休みも、生徒には夏休みでも、我々はそうではない。
仕事もいろいろあるし、毎日出校なのだ。
それでも、夏休みに入ったという少々気の早い解放感がある。

3日間の、猛暑の中での保護者会が終わったせいでもある。
それ以上に、きょうで授業が休みに入ったというのが大きい。

おそらくあまり重視されてないことだが、
授業をどう進めるかという問題は、時間不定で取り組まねばならぬ仕事で、
次の授業、これからの2、3時間の授業、次の教材、、といった単位で、
さまざまな形で、頭を悩ませなきゃならないのだ。
古典でもそうだが、特に現代文を担当すると、終わりなき課題となる。
帰宅後や休日も、いつも落ち着かないし、
余暇を楽しんでいたのを中断して、授業の準備をすることもある。
思いついたりひらめいたりしたときが、仕事の始まりだったりするわけだ。
他の教科の教員はどうか知らないが、国語科の教員の仕事は、
時と場所を問わない、いつも仕事に脅迫されているようなものである。
だから私は、教員の「勤務時間」などというものは規定しにくいと
思っているが、ここ数年、勤務時間なるものが厳しくなってきたのは、
教育委員会に入るほどの人たちが、そういう意味での切実な体験を
してこなかったためであろう。
だから、一部の市民から疑義が出たときに、形式主義で解決するしかなかったわけだ。

これから1ヶ月余り、授業の進行に関する脅迫的な悩みからは解放される。
事務的な仕事ばかりに限定される。
それはかなり大きな負担軽減である。
きょう心に広がった解放感はそれなのだ。


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