TENSEI塵語

2004年06月24日(木) 初めの一歩

職員会議で、提案事項をひとつぐじゃぐじゃにしてやった。
2、3年前から研究指定で取り組まされているとかいう
学校評価制度の研究の一環らしいが(これ自体去年の成果は笑いもんだ)、
生徒に授業評価をさせて、そのまとめを全員が提出する、という提案である。
確か予備校などが始めて、大学などでもやるところがぽつぽつ出てきて、
東京都などの公立高校でも行われ始めたとかいう授業評価である。

教員の選別や進退に関わる資料がほしいのならこの方法は意味があるが、
そうではなくて、授業改善のためであるなら、この方法は意味がない。
授業改善のための資料なんてものは、日常的にいろいろな場面で得るものだ。
教科によっても違うし、同じ教科でも内容によって違う。
だから、たとえば、7月の時点で生徒にこんな項目に5段階の評価を
つけてもらったところで、いったい何がわかるのであろうか?
「私はこの授業を関心をもって受けた」
「私はこの授業を理解することができた」
提示されたアンケート項目は、みなこのような大ざっぱなものである。

また、こんな、誰のための質問かわからないものもある。
「先生はいつも授業開始時間よりも前に教室に来ている」
「先生は授業中私語をしている生徒や眠っている生徒を注意する」
これは教員の自己点検のためというよりは、管理職のための資料であろう。
どっちかというと、生徒に、そうしてほしいかどうかを聞いてみたいものだ。
私が高校生だったら、5分以上遅れて来い、と答えるだろう。
そうしてまた、こんな曖昧な問いもある。
「先生の授業をするときの声は適正である」
「先生の授業を進める速さは適正である」
この問いに否定的な評価が返ってきても、
声が大きすぎるのか小さすぎるのか高すぎるのか低すぎるのか、
授業が速すぎるのか遅すぎるのか、わかるわけではないのだ。
ちなみに、隣の教室で授業する立場でアンケートに答えたい気持ちのある。
声がでかすぎて迷惑でしょうがない教員が何人もいるからだ。

要は、どれをとってみても、
誠実に授業改善を願う人が考えたアンケートとは到底思えないのである。
ただそれらしい体裁を整えてみたいだけか、
こんなことを先進的に採用してみました、と自慢したいだけのものである。
後々のことまでしっかり考えているとも思えない。

とにかく、授業の反省のための生徒の反応の吸い上げ方から始めて、
アンケート項目ひとつひとつの無意味さまで、3、4度意見を言った。
他の観点からも意見を言う人もいて、用意していた半分も言えなかったが、
アンケートは作り直すことになり、あえてそれを使わなくてもよくなった。
粉砕するところまでは行かなかったが、敵も必死である。
学校評価研究にもうひとつ色をつけたいという思いで必死である。
手柄に逸る学校長のわがままにすぎないのだが、
今度、学校長講話についての生徒のアンケート用紙を作って贈ってあげよう。

それにしても、こんな案のまま、校務委員会も通ってくるとは、
学校の運営委員会たる校務委員会のあまりの杜撰さに呆れ返るばかりである。
毎週月曜日に2時間も時間を取って、いったい何を検討しているのか。
校長のわがままが素通りしてくるなら、職員会議で攻撃するしかない。
校務委員も甘えて何も考えなくなってしまうからだ。
去年は1年目で遠慮して様子を見ていたけれど、そういうわけにもいかない。
きょうはそういう意味での初めの一歩である。


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