TENSEI塵語

2001年06月14日(木) 対話

若いころから、読書は対話である、哲学を学ぶのも対話である、
音楽を聴くのも対話である、、、、というのがモットーのようになっていて、
近年はそんなことをそう意識化することもなく過ごしていたけれど、
橋本さんが橋本BBSに自ら、北さんへの反論としていいことを書いていたので、
末尾に押しやられて消えてしまわないうちに、ここにコピーしておこう。

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私にとって、歴史とは過去と出会う旅だといってもよいでしょう。
他国を知ることが、自分の国をよく知ることに通じるように、
過去の世界を知ることは、現在の自分を知ることでもあります。
歴史とはそうした時間の旅ではないでしょうか。

そしてそこで大切なのは異なった世界との「出会い」だと思います。
異なった文化や価値観に出会い、そうした対話を通して、
現在の自己を反省し、変革していくこと。
そして、未来への 新しい展望と希望を得ること。
歴史を学ぶことで、 そうした自己変革と自己認識の深化が促されます。

歴史を「物語」だと見る観点からは、このようなダイナミズムは
生まれようがないのではないかと思います。
現在の視点で、過去を解釈し、
都合のよいフィクション として仕立て上げる行為が「歴史」だとしたら、
それは あまりにも自己中心的、現在中心的だと言えないでしょうか。

歴史は過去との出会いであり、過去との対話だと思います。
そして、そうした対話を通して、より大きな真実を尋ねる 旅だと思います。

私がこうした考えをするのは、私が数学や自然科学を学んできたせいかもしれません。
数学や物理学も「物語」だと言う人が いますが、
しかしそれは単なる「物語」ではない。
それはやはり「自然との対話」の産物なのです。
そして、それよって、私たちは、常識を越えたさまざまな 自然の驚異に
目を見張らされることになります。

私は自然科学に限らず、「学問」とはそのようなものではないかと思っています。
いや、そもそもそれは文学の精神でもある。
「竹のことは竹に学べ」という芭蕉の言葉に心がひかれます。


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