ずんだいありー
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1998年11月28日(土) |
在日であるということ |
久しぶりに神戸に住むヒョンから電話があった。 就職活動で悩んでいるということ。 話し始めたら結局、長くなってしまった。
ヒョンとは韓国語で兄さんの意味。 彼は在日韓国人二世で僕がソウルに韓国語を勉強にいったときに出会ったのが始まり。 それから勝手に僕がヒョンと呼び始めた。 ソウルの韓国語学校はすごい楽しいんだけどなんか韓国オタクで ちょっと性格が壊れている人とかもいたりしてそんななかでやたら ブラックなネタをご披露してくれるヒョンとはすぐに仲良くなった。 ポケベルのメッセージとか岸田今日子の語りとかにしてるし。 もみあげを残す、日本で流行りの髪型を韓国の床屋でやってもらおうとしたら めちゃめちゃ斬斬り頭になって帰ってきて俺が爆笑したこともあった。 彼はハングルのハから勉強をして僕が韓国に行ったときにはもう5級くらいで かなり話せるようになっていた。
僕は大学院入学のために97年の3月に帰ってこなきゃいけなくなった。 ソウルを去る日にタクシー乗り場でお別れしたときの彼の淋しそうな 目を忘れられない。 あれから数回電話したり、手紙をやり取りしてヒョンも今年、帰国した。 僕が就職活動をしているときの頃だった。 大変だったけどなんとか僕は希望の就職先に内定し、彼も同様に 就職活動を始めたが一向に決まらなかった。 僕が内定したことを教えたとき、一番喜んでそして一番素直に悔しがって 妬いたのもヒョンだった。 そして僕はそういう彼の正直なところが大好きだった。
そしてもう11月末。 彼はまだ就職活動をしている。受験した会社はとうに20近い。 しかし落選が続いている。その原因を彼の能力や話術の限界に求めることも簡単だろうな。 でもやっぱり彼が在日韓国人だという事実を看過することは出来ないと思う。 そこに落ち続けている理由を収斂させてしまうのもまた違うかも知れないけれど。 でも、このご時世においては芸術学科卒業の今、26歳で韓国語の分かる在日韓国人が 必要とされず、経済学科で21歳で日本語しか分からない日本人は必要とされるのか。
エスニックな部分で斬ることの出来る問題ではないけれどねぇ。 そしてそんな彼には今、在日韓国人が経営する物産と韓国領事館の仕事の 二者択一しか残されていない。 日本で生まれ育ち、日本語で教育を大学まで終了し、それから韓国語を習得したヒョンは 日本人といっても過言ではない。 (アイデンティティ論は棚にあげておく。僕が知っている彼はそうだ。) その彼が結局、就職先として選ばなくちゃいけないのが両方とも韓国系であるという事実。 そこにはおぼろげながらも確実に境界線という名の差別が見える。
ネクタリンって1900年代にアメリカに渡った韓国人が桃とプラムをかけあわせて作って できた果物なんだよ。しってた?
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