ずんだいありー
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1998年10月25日(日) 先輩

おお、最近はそう呼ばれることもあるのね。久しぶりの感覚だわ。
先輩って呼ばれるのって。嬉しいかも。

向かいの講座の1年生が就職活動について訪ねに来た。
うちの大学院は独立大学院なので下に学部を持たない。
それは画期的なことなので非常にいいことだと信じているけれど反対に就職活動の時には
ゼミや学部の流れによる、旧来の就職活動では太刀打ちできないんだよね。
それに基本的に学生の大体が博士課程への進学を希望しているし、就職を考えている人も
シンクタンクや研究所、それから教員に公務員と私企業を目指す人は非常に少ない。
ということで私企業に進むあっしのところへ来たと言うことだな。
ふんふん、先輩と言われちゃ、なんか嬉しくて話に乗ってしまう。女の子でも。

就職活動を始めたのは確か去年の11月くらいだったなぁ。
就職活動を応援するリクルートとかに登録をしてインターネットの就職情報も
ブックマークに登録して更にメーリングリストにも名前を登録してなんとか情報を
漏らさないようにしたのが始まりで、それから具体的に人に会いに行って話を聞きに
行ったりなんとかコネを探したりしたんだよね。
両親が公務員の我が家には私企業の流れはなく、兄の知っている人を捜せどうまいこといかず
結局、そう簡単にコネなんて転がっていないことを知るのね。
あああ、二丁目に行ってだれかダディをお相手したらあったかもしれないわなんて考えてみたり。

本格的に始まったのは1月。
出版社でしたねぇ。試験終わった瞬間にダメだったと確信。
それから3ヶ月は落ちるだけでしたね。
まぁ、最初の書類は通るんだけどそれからが必ずダメなの。
とほほで、毎日焦燥感と、将来が定まらないっていう不安感を抱えつつとぼとぼと
広瀬川の周りをうろうろしていました。
父親なんて落ちたって分かったその日に
「お前なんか、受かる訳ないんだよぉ。お前がぁ!」と
酒の入った勢いで怒鳴られたりもして、殺意を感じたりもして。

変化は面接に通ってから。その面接は3対3の一次面接。
隣は筑波大学の体専(体育専門)の奴でカラダ、顔どれをとってもめちゃくちゃいけるの。
まじで。あんなにいける奴は本当に就職活動中そいつだけだったって、おい。
で、その隣が優秀そうな九大の女の子。
あたしゃぁ、この筑波の奴には負けるわぁって思ったら
そいつ「ラグビーをやってて学んだことは何ですか」の質問に
「う〜ん、学んだことは、ま、自分は大した奴じゃないんだって言うことですね」といって
シ〜ンとさせてやんの。狙ったのは分かるんだけどね、かわいそうな奴だ。
その面接に通ってからは本当にトントン拍子にコトが進んですんなりと内定を
もらったんだよね。そこだけ。あっという間でした。

内定の電話が鳴ったのは学校で研究会が開かれているときであたしゃぁ、
その会場で迷惑も顧みずひゃぁ!って30cmくらいジャンプをしたらしい。
ま、嬉しいし。

で、一個面接に通り出すとどんどん通るのね。
面接のテクみたいなのをカラダが覚えるのかしらね。
別の大阪の会社も話がのりまくってしまい5分のところが15分になってしまったりして
結局は相性というのを確信しましたね。
大阪のノリでの面接はちょっと楽しかった。
ま、面接のポイントは自分をどう売り込むかと言うことでしょうね。
究極的には。時間がかかりましたがそれをこの時間で学んだ気がする。
それにちゃんと内定ももらえたし。

でも就職活動をするに地方にいるっているのはちょっと不利だね。
東京の大学生間の情報交換の速さと言ったらないよ。本当に。
あのネットワークはすごいわ。マジで。
その頃にこちとら、就職部もないんだから。(厚生1掛というのが兼務しているらしい)
おいおい、大学の凋落って地方から始まって行くんだからもっとしっかりしてくれよなぁって。
しかも担当のおじちゃんは事務員でしかないからなんにもわかってないし。

ま、こんな話聞かされても彼女、困っちゃうだろうなぁ。
じゃぁ、何話そう?落ちた日は二丁目行ったりしたらいいわよ、とか?
GAPで買い物すると気が晴れるわよ、とか?
仙台-福島間は携帯の入りが悪いし、東北交通バスよりはJRの政宗号の方がまだ快適で
往復で買うと11,500円になって安いわよってこと?こういうことかしら?


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