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天竜



 Darling

僕の恋人はとても綺麗で、頭が良くて、キスがうまくて、たくさんの言葉を知っていて、リアリストで、母親を大切にしている、そんな素敵な人だ。
クラブで彼を見つけ、僕は声を掛けずにはいられなかった。彼は友達と一緒に来ていて、いや、もしかしたら恋人だったのかもしれない、勇気を出して誘った僕に彼は魅力的な笑顔を見せてこう言った。「ごめん、タイプじゃないんだ」
残念だけれど、そう言われた理由もよく解かる。僕は馬鹿がつくほど機転が利かない男で、彼のためにさりげなくジンの一杯を奢れるスキルさえ持ち合わせていのだ。良く言えばマイペース、悪くいえば鈍間。その割合は、大目に見たって3:7。どう考えたって分が悪い。仲間にはいつもからかわれていた。「お前がサイドを駆け上がったときは、逆サイドを使えっていうのが監督からの指示さ」サッカーの素質も残念ながら僕にはなかったようだ。

翌週、僕は同じクラブに行った。もう一度会えるかもしれないというはかない望みは叶わなかった。

翌々週、さらにその翌週、僕は欠かさず店に足を運んだ。棚に並んだ酒のボトルの順番を覚えることはできたけれど、結局彼との再会はならなかった。

もう、これで最後にしようと決めて出かけた晩、僕は店で彼を見つけた。心臓が口から飛び出てもおかしくないほどに緊張した。会ったら言おうと決めていた言葉があった。何度も何度も頭の中でシュミレーションしていた言葉だった。
カウンターでジンのグラスを手にしている彼のもとへ向かった。もしかしたら、右手と右足が同時に出ていたかもしれない。ファック、僕はなんて間抜けな男なんだ。

アルファベットが頭の中でダンスを踊る。
近付いた僕の気配を察し、彼が振り返る。彼は、僕のことを覚えているだろうか。
「あの…」声を掛けた僕と、彼の視線が絡み合う。その一瞬が永遠にも感じられた。さっきまで頭の中で渦巻いていた台詞がすべて、その時間の波に攫われていってしまう。
君が訝しげな顔をして首を傾げた。
喉に詰まった言葉が出てこない。あなたが好きですという、そのひと言さえも。
顔が赤くなっていくのが自分でも分かった。薄暗い店内で良かった。今夜、マスターにチップを弾もう。そんなくだらないことだけが、頭の中を駆け巡っていく。

しびれをきらしたらしい君が、「Hey」と僕に声を掛ける。

「あと三秒だけ待つよ。僕だってそれほど暇じゃない。君がもじもじしている間にも大切な時間は着々と過ぎているんだからね。僕はさっさとこのグラスを空けて、有意義な会話ができる相手を見つけないと。ねえ、ぼうっとしてるみたいだけど僕の話をちゃんと聞いてるかい? まあ、見ず知らずの君がどう思おうと、何を考えようと、僕にとってはどうでもいい事なんだけど。ただ、ひとつだけ君に助言しておくことがある」

僕は小さく息を吐く。いつか担任の教師の口からも同じ台詞を聞いた。そのときのアドバイスは、「もう少し大きな声で喋りなさい」だった。僕が十三歳のときだ。ああ、神様。
君はカウンターに頬杖をつき、それからあらためて言った。

「君が何を言おうと、僕からの答えはすべてYESだ」

僕の恋人はとても綺麗で、魅力的で、背中がすごくセクシーで、欠点ばかりの僕を大切にしてくれる、そんな素敵な人だ。少しだけ口が悪いのはご愛嬌。
当時のことを思い出して、君はよく笑っている。「君はまるで、少し変わったトーテムポールみたいだった」
あのとき君に言いたくて言えなかった言葉は、一年経った今も伝えられていない。でも、いつかあの時なくしてしまったアルファベットを掻き集め、君に伝えたいと思う。それが明日でも、十年後でも、三十年後だってかまわない。

君が今ここにいる奇跡を、僕は生涯をかけて神に感謝すると。

2007年06月15日(金)
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