たりたの日記
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2017年03月22日(水) 長男一家 ベトナムでの暮らし始まる

1月5日に故郷へ帰省したことを記して以来、すっかり、ここを開くことを忘れていた。そして今ここを開くのは、ようやく、私の中でひとつのことが終わったからなのだろう。

3月21日早朝の便で、長男一家(長男夫婦と7歳のれお、3歳のめいみ、1歳のあいみ)がベトナムへと旅立った。そして今日は新しいベトナムの住まいで、今までと少しも変わらない様子の孫たちの姿がLINEのTV電話で届いた。いよいよ彼らのベトナムでの生活が始まる。

ここ3カ月はれおの英語のレッスンや向こうでの日本語の保持のこと、彼らの引っ越しの手伝いに心も身体も忙しかった。週末はできるだけ調布の長男宅に泊まりがけででかけるようにしていたので、オフの日があまりなかったが、孫たちとはたくさん時間を過ごすことができた。これからあまり会えなくなるとすれば、かけがえのない時間だったという気がする。

そして毎週月曜日は、イグナチオ教会の英神父の聖書講座に出かけていた。面接も2度受け、4月30日のミサで行われる改宗式で、これまでのプロテスタント信者からカトリック信者へ移行することとなる。早朝ウォーキングをしながら日本語とラテン語でロザリオの祈りを唱えるひとときは忙しい日々の中で心を鎮め、また癒される時間になった。
伊奈コンポステーラと私が呼ぶ道、田畑の中の、綾瀬川に沿った一本道の正面から、昇ったばかりの太陽が、その光をそっくりわたしに向って投げてよこす。川のせせらぎ、鳥の声、ほぼ人のいないその道を歩く時、死んだ後に天国(行けるかどうかは分からないが)へ向かう道はこのようなものではないかと思ったりもする。今は確かにここに存在する私が、この場所でないところでも存在することが容易に信じられる。そのような時、この場所は地上でありながら、同時に神の国となるのだ。

長男一家が旅立つ前、れおともめいみとも、また長男と奥さんのともちゃんとも、それぞれと神さまのことを話すことができたのは、彼らと遠く離れてしまうから、魂のレベルで繋がっていたいという願いが強く沸き起こってきたからなのだろう。

「れおにはれおのことを何でも知っていて、どんな時にパワーをくれて、どんなこともできないことはない、最強の神さまがついているんだよ。困った時にはぼくに力を下さいってお願いするとパワーをくれるんだからね。ただし、悪いことに使うパワーはくれないからね」とそんな話。

「めいちゃんはいつかパパママが手術する時、神さま、パパママのそばにいてくださいってお祈りしてくれたでしょ。神さまはちゃんとパパママのそばにいて見守ってくれてたよ。パパママも、神さま、めいちゃんのそばにいてくださいってお祈りしてるよ。めいちゃんが悲しい時やさびしい時も神さまはそばにいてくれるんだから、困った時には神さまたすけてくださいってお祈りするんだよ」とそんな話。

さて、ベトナムでの暮らしは、いろいろな意味で大変なことも多いことだろう。れおはインターナショナルスクールに行くことになるから、その昔彼の父親がそうだったように、言葉の通じない世界にポンと放りこまれることになる。ママも、あの時の私のように、スパーへ行くにも学校へ行くにも、何もかもが日本と違うことに、途方に暮れるかもしれない。でもそんな事もひっくるめて、冒険は楽しいはず。そこには自分でも知らない力が湧いてくるはず。

子育ては生き直しということを人に言ったり、書いたりしてきたが、長男一家の海外赴任は、私自身の海外赴任までのあれやこれやの追体験をさせてくれた。33歳の時の自分をその時の希望や不安や、子ども達への責任や思いを思い起させてくれた。

8月にはベトナムへ行きたい。そこでは観光とは違った、海外での暮らしをまた体験できるのかも知れない。
おっと、その前に来月18日から9日間のイスラエル巡礼の旅だ。明日からはその準備にかからなければ。大型スーツケースはすでにゲット。
その前に、英語教室のオープンクラス。
その前にはいよいよ始まる抗がん治療。なんだか綱渡りのような気分もあるが、今のところ、エネルギーは満ちている。







たりたくみ |MAILHomePage

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