たりたの日記
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2007年09月19日(水) 明日から九州なので

 大分で一人暮らしをしている母が9月23日に77歳、喜寿を迎えるというので、金沢と熊本でそれぞれ暮らしている弟達にも声をかけ、親子四人で阿蘇に泊りお祝いをするという事になった。
 施設にいる父を見舞ったり、実家の掃除や庭周りの事などもやりたいので、仕事をやりくりして明日、20日からでかけ、25日の朝の便で戻ってくる事にした。

 今回はそれほど長く家を空ける訳ではないのだが、夏休みでも冬休みでもないからか、何か心が旅のモードに切り替わらない。明日出かけるという気がしなくて、準備や何かがあるはずなのにぼんやりしている。 
 今だって、仕事にでかける前の時間、いくらでもやる事があるというのに、何かをさがすような気持ちでここを開いている。そうしていながらどこか落ち着かない。

 果たして家を空けることが不安なのか・・・。そうともばかりは言えない。夏が終わり、秋の風が吹く頃に決まって起るメランコリックな気分のせいもある。その他には同居人の仕事が常識を超えて大変なのに、家を離れることが気にかかる。息子たちも夏の間も顔を見せないままだったから気にかかる。そういえば、去年も9月から10月にかけてわたしは息子達を訪ねている。この季節というのは家族やご無沙汰している人達の事が気にかかる時であるのかもしれない。

 それならば、母にしてもこの秋のうすら寂しさは同じ事だろう。けれども、秋の敬老の日や自分の誕生日に息子や娘が帰って来ることはない。この秋はめったにない事をしようとしているのだが、こういうあたりまえのことすら今までできなかったし、これからだってなかなか難しいという事が、どこかで心を重くしているとも言える。

 日曜日に88歳になる母の姉を世田谷に訪ね、すっかり元気がなくなった伯父の姿に驚いた。わたし達の親の事、伯父や伯母達の事・・・今の自分の生活の目まぐるしさの向こうで、人生の最後の部分を生きている人達がいる。
 何をすればいいだろう。何ができるだろう・・・

 さて仕事にでかけなければ、まずは今日一日の事を考えるのでなければ。


たりたくみ |MAILHomePage

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