たりたの日記
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2007年05月19日(土) |
天城山、等高線を数えつつ |
大人の休日倶楽部6000円のフリー切符を使って、日頃行けないような遠くの山へ日帰りで行ってこようと、一月前からあれこれ登る山を探していた。 しかし、北陸や東北の山々はまだ残雪時期。一人では止めておいた方が無難だ。それならば南へ。フリー切符は伊東まで行けるとあるから、伊豆半島の天城山はどうだろう。ガイドブックを見てみれば、5月中旬から下旬はアマギシャクナゲの開花時期ということ。 ジムでばったり会った山友だちのSを誘ってみると、前日の夜広島から戻ってくるが、天城山にも行くという。彼女はわたしの勧めで、先ごろ大人の休日倶楽部に入ったばかりだ。連れがあるのは心強い。
さてさて、路線を調べ、計画書まで作り、当日の2日前駅に切符を買いに行ったところ、東海道新幹線は使えない事が判明。そんなぁ〜、ネットの路線で調べる時はそんな事考えてもみなかった。わたしは鉄道の名前や路線に甚だ弱い。 フリーパスを使うのなら、東京9時発の「踊り子号」を使うしかないとのこと。そうすると、登山口までのバスは伊東駅発10時55分。登山口到着は12時近くとなる。ふつう山は午前中に歩き始め、昼には山頂に着くというのが原則。午後からの山行きは果たして可能なのだろうか? 旅行会社のロビーで、バス会社や観光課に問い合わせると、このシャトルバスで充分登山ができると請合ってくれるので、広島に旅行中のSと携帯メールで連絡を取り、計画を変更し、フリー切符と座席指定券を無事購入。 天城高原ゴルフ場→万二郎岳→万三郎岳→天城高原ゴルフ場と歩く4時間10分のコースだから、休憩を入れて5時間。ぎりぎり、登山口発16時59分のバスに間に合う算段。帰りの電車まで一時間ほどあるから、駅付近の温泉で汗を流し、ビールも飲めることだろう。
踊り子号はほぼ満席。東京から伊東まで1時間43分。駅前から10時55分の東急シャトルバスに乗る。シャクナゲのシーズンだし、日本百名山でもあるのだから、平日の金曜日とはいえ、登山客は少なからずいるだろうと予想していたが、伊東から登山口にあたる天城高原ゴルフ場までの50分間、バスの乗客はわたしとSの他に登山客は一人。ほとんど貸切状態だった。
当然山も静かなものだ。人がいない。これもまた貸切状態の山行き。 薄日が射し、風の音だけがざわざわと大きな山の中を歩き始める。気持ちの良い登山道は赤褐色のアセビの新芽が美しく、トウゴクミツバツツジの鮮やかなピンクが新芽の中に見え隠れしている。
いつもそうなのだが、山の入り口付近の植林地に入ってすぐは、山になにか人を寄せ付けないようなよそよそしさを感じて不安が走るのだが、すっかり山の懐へ入り、人の手が入っていない自然林の中を歩き始めると、空気が変る。木々が一斉に出迎え、受け入れてくれるような親しみを感じて嬉しさがこみ上げてくるのだ。
登山口から1229mの万二郎岳のすぐ手前までは緩やかな登りで苦労はない。1時間20分ほどで山頂。ここは樹林に囲まれ眺望が利かないから、西方、万三郎岳に向かって少し下る見晴らしの良い岩場で昼食休憩にする。天城山の山々や海が見渡せるが北側に見えるはずの富士山は霞に隠れて、どう目を凝らしてみてもその姿を見ることはできなかった。
天城山とは伊豆半島の真ん中にある山脈の総称で、最高峰は1406mの万三郎岳。万二郎からおよそ80分の万三郎岳の山頂までの参道はアセビの群落、ブナの巨木がある原生林、アマギシャクナゲの群生地。歩く時にはろくに話もせず黙々と歩く山女二人だが、花を前にすると歓声を上げ、立ち止まり、見とれ、溜息をついたり、写真を撮ったりするものだから、なかなか先に進まない。これでは最終バスに乗り遅れてしまうと万三郎からの急坂からはまた黙々と早足に歩く。
今回は山の地図と方位磁石を手に、地図の等高線と歩いている道の周辺の地形を確かめながら登った。等高線の形と方位で、今いる地点が地図のどのあたりになるのか確かめながら歩くのは予想以上に面白かった。 地図の読めない女の典型であるばかりか、いつも意図する方向の正反対側を迷わず歩き始めるわたしにとって、地図読みつつ歩くという行為は新しい学習でもあった。もしかすると地図が読める女になれるかもしれない。
この学習(?)を動機づけてくれたのは日本百名山の著者、深田久弥氏。 天城山の事を深田氏が何と書いてあるだろうと予習をした時にこういう記述があった。
「地図を持たない登山は私には興味索然である。天城で一番高いのは万三郎岳、次は万二郎岳というくらいは心得ていても、やはり地図の等高線を数えながら登るようでないと面白くない。」
地図とは無縁のわたしにも、これには説得力があった。深田氏は当時、天城山の五万分の一の地図が無かったから、この山登る機会を逸していたという。わたしの手元の山のガイドブックにはこの山の二万五千分の一の地図がある。これをコピーして、ひとつ、深田氏が言うように等高線を数えながら山歩きをしてみようと思ったのだった。
この年齢にして今までまるで関心のなかった鉄道や地図に少しつづ明るくなってきた。自分の足で地形を確かめることの面白さがようやく分かるようになったらしい。
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