たりたの日記
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2007年04月23日(月) 島木健作著 「赤蛙」を読む

島木 健作 (しまき けんさく、1903年9月7日 - 1945年8月17日)は、北海道札幌市生まれの小説家で、高見順・中野重治・徳永直・林房雄らとともに、転向文学を代表する作家の1人。
 はじめに作者の略歴を簡単に記そう。
2歳で父と死別し母に育てられる。苦学しつつ、1925年東北帝国大学法学部に入学。入学後間もなく労働運動にかかわり、翌年大学を中退し、香川県の農民運動に参加する。その後日本共産党に入党するも1928年の三・一五事件で検挙され、翌年、転向の声明を行った。1930年3月に有罪の判決を受けて服役するが、肺結核が悪化し隔離病舎に移され1932年3月仮釈放となる。
 1934年転向問題を扱った処女作『癩(らい)』を発表し世評を呼び、『盲目』『獄』を出版して作家としての地位を確立した。遺作として『土地』『赤蛙』『黒猫』などの作品が発表された。代表作にはこの他に『生活の探求』『人間の復活』『ある作家の手記』『満州紀行』 などがある。 


 「赤蛙」は島木健作が療養のため修善寺の温泉宿へ滞在していた際の事が書かれている。この滞在は1941年の秋のことで、脱稿されたのが1945年の3月とすれば、この作品を書き終えたのは島木健作が亡くなる5ヶ月前という事になる。
 話は<寝つきりに寝つくやうになる少し前に修善寺へ行つた。>と始まるので、これは作者が寝たきりになってから書かれたものなのだろう。健作の死後、遺作として発表された作品だ。

 この作品も、前回の課題同様、繰り返し朗読しながら文の構成やそれぞれの段落との繋がり、文章の中でとりわけ作者の想いが強く現れているところに注意しながら読んでいった。

 まず、療養先の宿の待遇の悪さが描写される。「私」はその事で怒りを覚え、<不機嫌を通し越して毒念ともいうべきものがのた打って来た>とその時の心況を語る。
「起承転結」の「起」の部分だ。

 それを受けて、<或る日私は桂川の流れに沿つて上つて行つた。>と「承」の部分が続く。
 ここでは赤蛙が流れの速い川に飛び込み、懸命に泳いで向こう岸に渡ろうとしている様子が詳しく描写される。流れがゆるやかで、もっと楽に向こう岸に渡れるところがあるのに「馬鹿な奴だな!」と私は赤蛙を笑い、石を投げて赤蛙に周囲の事を気づかせてやろうとする。
 ところが < 次第に私は不思議な思ひにとらはれはじめてゐた。赤蛙は何もかにも知つてやつてゐるのだとしか思へない。そこには執念深くさへもある意志が働いてゐるのだとしか思へない。> と、私はそれまでの蛙への見方を変える。
 ここからが「起承転結」の「転」の部分だろう。

 蛙は何度もその行為を繰り返した後、< やがて赤蛙は最後の飛びつきらしいものを石の窪みに向つて試みた。さうしてくるつとひつくりかへると黄色い腹を上にしたまま、何の抵抗らしいものも示さずに、むしろ静かに、すーと消えるやうなおもむきで、渦巻のなかに呑みこまれて行つた。>とその結末が伝えられる。
 
 そして「結」の部分。ここで私はそれまでの赤蛙の格闘について考える。そして、<そこには刀折れ、矢尽きた感じがあつた。力の限り戦つて来、最後に運命に従順なものの姿があつた。さういふものだけが持つ静けささへあつた。>と赤蛙の行為に対する印象が述べられている。
 さらに、この赤蛙に感じたものと<自然の神秘を考へる時にもたらされる、厳粛な敬虔(けいけん)なひきしまつた気持、それでゐて何か眼に見えぬ大きな意志を感じてそこに信頼を寄せてゐる感じ>には共通するものがあると語る。

 毒念ともいうべき想いを携えて宿を出た「私」がまた宿へ戻る事でこの話は終結するのだが、赤蛙体験の後、私の毒念は解毒されている。
 <私は昼出た時とは全くちがつた気持になつて宿へ帰つた。臭い暗い寒い部屋も、不親切な人間たちも、今はもう何も苦にはならなかつた。私はしばらくでも俗悪な社会と人生とを忘れることができたのである。>と、その時の心の変化を語っている。

 この作品の構成をみると、このように起承転結がくっきりとしていて、最後に「私」の得た結論も胸にストンと落ちる。うっかりすれば抹香臭い話になってしまうところだが、そこに陥っていないのは、作者の側の真実が伝わってくるからだ。
 作者自身、死期が迫っていて、これまでの自らの闘いが赤蛙の闘いと重なり、赤蛙の、運命を受け入れ、諦念した姿の中に自分へのメッセージを聞き取ったのだと思う。

 人が死を前にして受け止めるメッセージというものはそれ自体、聴く者の心を開く力があるのかも知れない。
 作者は赤蛙を通して自分が受け止め、心を動かされたメッセージを確認すし、それを他者に伝えたいと思ったのだろう。

 わたしのゼミでの発表はここまで。
この作品を読んですぐに思った事は、赤蛙を通して作者のところにやってきたメッセージを思った。このようにして小さな生き物や自然が言葉よりも深い方法によってメッセージを取り次いでくれるのだと。

 しかし、わたしの用いた「メッセージ」という言葉は特異なもの、理解され難い類の言葉なのだろう。
 わたしがこの作品に感じたものは、この作品が作者の頭の中から、あるいは感情の中から生み出されたものではなく、外から作者にもたらされた「メッセージ」を謙虚に受け止めている作者の姿だった。
 そこにはこれまでの闘いもすでになく、人の思惑からも自己嫌悪からも遠く、透明に澄んでいくものだった。さまざまな事がふるいにかけられ、最後に残ったその人自身を受け入れている静けさが伝わってきた。
 
 それにしても、いつもの事ながら何と人の見方には違いがあるのだろうと驚く。
 自らの価値観や見方に疑いを持つことなく、その作品なり価値観なりを批判する事は自由だ。しかし果たして、わたし達は作者が死を前に何としてもい書いておきたいと思った強い思いにまで降りていく事はできるだろうか。それができないにしても、その人が真実聞き取ったメッセージに素直に耳を傾けてみようとまず考えても良いのではないだろうかと思った。
 作者がどういう想いで書こうとしたのか、その心情に近く寄り添ってみることは、そこから何かを学び取ろうとする者としてのひとつの礼儀ではないだろうかと、そんな事を思ったのだった。



島木健作著 赤蛙は青空文庫で読めます。


たりたくみ |MAILHomePage

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