たりたの日記
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明日の教会学校のテーマは「わたしは良い羊飼」 そこで紙粘土と綿で子羊をいくつも作った。
子ども達はひとつづつその子羊をもらい、 「良い羊飼い」について考えを巡らす。
そしてそのひとつの羊に名前を付け、 隠されたその羊を探しに出かける。
見つけ出されるということ。 愛されているということ。 それを伝える。
ルカよる福音書 10:8〜15
はっきり言っておく。わたしは羊の門である。 わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。 わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。 盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。 羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。・・狼は羊を奪い、また追い散らす。・・ 彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。 ルカよる福音書 10:8〜15
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