たりたの日記
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蒲公英さんの言葉を読むと、その言葉へのコメントというのではなく、 わたしの何かにスイッチが入って、そこから言葉がするすると出てくることがある。 それをそのままコメントに書き付けて、普通なら、ずいぶん失礼な行為とも 受け取られかねないけど、蒲公英さんはそれが言葉のリレーだって受け止めてくださる。 昨日もそんなコメントを記した。
朝、お便りがあって、ブログ 風に吹かれてにわたしのそんな言葉を載せてくださるとおっしゃる。
それならわたしもわたしの日記に。 蒲公英さんの言葉→わたしの言葉→
こんな言葉のリレー、この見えないバトンがどこかへ届くのかもしれないと思いつつ。
*蒲公英さんの言葉を読んでいるうちに出て来た言葉 ソネット風に
終わりのない歌のように
思い出そうとしても 見つけられないその入り口 分かっているのは、そこに何かがあったということ きっと今もまだ、そこにあるのに違いない
入り口は藪で覆われ もう入ることもできないのかも知れない 誰も訪ねる人のいない、山の中のお花畑のように けれども、そこに花は咲き続けているのかもしれない
見つけ出せない入り口 手繰り寄せられない糸 過ぎた時間の中で手放してしまったもの 見失ってしまったもの
終止符を持たない歌は、だからいつまでも終わらない いくつもの旋律が低く重なり合って不協和音がこだましている
* 蒲公英さんの言葉
不思議な空間
思い出という 不思議な空間に すっぽりと包まれてしまい あれこれと いろいろと 思い出していた
今こうして書き続けていることの その意味は すっぽりと包まれてしまうほどの 思い出のなかにある
何度も何度も繰り返して 届けられた言葉を思い出している おなじものがある そこにもここにもおなじものがる その意味をずっと考えながらも わからないまま書き続けている
途中で何かが見えなくなって わからないまま ずっとわからないまま 書き続けていたら そこにあるものも ここにあるものも 見えなくなってしまったよ
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