たりたの日記
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今日の午前中は明日のダンスのステージに向けての最後の踊り込み。 県活のリハーサル室で13人での自主練。 仕事の前の時間になお先生とFちゃんが駆けつけてくれる。 不安なところもなくなり楽しく踊れた。
それでも明日は緊張する、きっと。 深呼吸をして、地にしっかり足をつけて、エネルギーは上の方よりももっとぐっと下、丹田のあたりに貯めて。 そうしないと、気分だけハイになり、そんな時は振りが飛んだり、細かいところに注意がいかなかったりする。
そしてリラックスすること。 自分を解放させること。 心にも身体にも余分な力を入れない。そしてみんなのエネルギー、できれば客席とのエネルギーとの交感をする。
と、ここに書くことで自分に言い聞かせている。
そうだ、この事も付け加えておこう。 ここのところ、高橋たか子の「日記」を再読しているのだが、 2003年12月13日の日記の内容は、ペアダンスを踊る前に良い示唆というか手厳しい示唆をいただいたと思った。 ペアダンスというのは、男女の愛の表現、それも、存在と存在をあげての求心的な愛の。 明日のステージの一部に同居人mGとのペアダンス。そこで何をどう表現するかという事についての示唆。
<以下、高橋たか子著「日記」(2003年12月13日の抜粋>
テレビで、フィギアスケートやアイスダンスなどの男女ペアものを見るたびに思うこと―それは常にわたしの考えてきた、西洋諸国では男女の愛が成熟しているということ(日本では、男女の性愛が今も昔もあるだけ。男女の愛ってどんなことなのか、存在と存在をあげての求心的な愛なのだ、と、私としては叫びたいほどなのに)。ロシヤやフランスやイタリアやカナダやアメリカやブルガリヤや、まことにまことに見事な、男女のカップルの、氷上の愛の表現!現に、何世紀も何世紀もそれを体験してきた民族だからこそ、こんなに踊れるのだ。
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