たりたの日記
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2006年10月27日(金) 映画 「夫婦善哉」を観る

日記に織田作之助を読んでいると書いたのはいつだったのだろう、確か8月。

8月28日の文学ゼミのテキストが織田作之助の「夫婦善哉」だった。
この作品は味わい深く、この作家に至るやさらに興味深い人物だった。

今日は、何とも幸運な事に、この原作の映画、豊田四郎監督、森繁久弥、淡島千景主演の映画を観る事ができた。
この映画1955年の作品、わたしの生まれる1年前の映画ということになる。
まだ世の中にテレビというものが普及していなかった時代。人々がこぞって映画館へ押しかけ、通りの至るところに映画のポスターが貼られていた時代。
日本映画の最盛期の時代の映画なのだろう。

古臭くて当然のはずのこの映画が思いの他、新しかった。
何に新しさを感じたかといえば、森繁久弥と淡島千景の演技であり、スクリーンに映しだされた昭和7年の大阪の町のようす、人々の格好や家の中の様子だった。モノクロの映像も新鮮だった。

それにしてもこの俳優達のうまさはいったいなんだろう。昔の役者はクサイという先入観があったが、身体の動かし方やしぐさ、声の調子や、しゃべり方が何ともニュアンスがある。 ここで語られる大阪弁が実にいい。大阪の言葉にしかない可笑しみ、軽やかさ、ぬくもりがこの映画を豊かなものにしている。


織田作之助の原作に実に忠実な映画だったが、映像でなければ出せない味わいがあり、森繁久弥が演じる主人公の柳吉などは、原作を読んで頭に描いていた人物よりも生き生きと目の前に現れた。
実際、原作から浮かびあがってくる柳吉、吃音でどこかおどおどしているような弱さの滲み出た柳吉にはないユーモアと極楽トンボ的なおおらかさを森繁の柳吉は持っている。

時代と共に女と男の関係、夫婦のあり方も変化してきたが、この映画の最後で、波乱万丈を乗り越えてきた二人が夫婦善哉屋から出てきて、降ってくる雪をよけながら肩寄せあう場面は、時代の変化にも関わらず、また世代にもかかわらず、等しく見る者の心を暖め、そしてじいんとさせるものがあると思ったことだった。

今、原作を取り出して読み直しを始めた。
作品の中で見えてこなかった映像もはっきりと浮かび、さらに楽しい作品になっている。


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