たりたの日記
DiaryINDEXpastwill


2006年05月19日(金) 人(アダム)は女(イシャー)と男(イシュ)に

昨日は、明日早起きをして日記を書くと書いたものの、結局早起きはできず、家事その他を終え、昼過ぎにここを開く。

今朝起きてみると、次回のゼミのテキスト、坂口安吾著「桜の森の満開の下」の感想をmGが自分の ブログにアップしていて、そこからインスパイヤーされるものがあったのだが、今日はまず、創世記の男と女の誕生のことを書くつもりだったのでこちらから。

さて、落ちてしまったアンネのバラの花びらをカップに入れてお湯を注ぎ、花びらのお茶を飲みながら書くとしよう。






5月17日、フェミニストの視点からの聖書研究一回目のテキストは創世記2章で、テーマは「神の手によって造られた形あるもの」→「おとことおんなに」

まず2章の7節 

< 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。>


とあるが、この土、ヘブル語のアダーマーは女性、単数名詞。そして人、アダムは男性にも女性にもなれる双数の名詞ということが語られる。
そして、21節、23節のところで、はじめて人が男と女とに分かれる。


<主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。
そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、
人は言った。 「ついに、これこそ わたしの骨の骨 わたしの肉の肉。 これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」>


神がはじめから男と女とに分けて創造したのではなく、どちらともつかない人(アダム)から、女(イシャー)と男(イシュ)とに分けたというところが興味深いところだと思う。
聖書研究会の席では気が付かなかったが、23章の記述から見ると、すでに人から男となったイシュは女がイシュから取られたと語っているが、それはイシュの誤解であり、アダムから女が造られることによって、男もまた誕生したのだ。


またヤン先生は、形づくられたものに命の息を吹き入れられる神というところで、妊娠時の呼吸(マタニティー・ブリージング)と出産時の呼吸(バース・ブリージング)を引き合いに出し、子どもの出産において母親の呼吸が大変重要な意味を持ち、母親の意識的な呼吸が母子のつながりと一体感を深めると言われた。

呼吸、それをわたし達はほとんど無意識に行っているが、この一呼吸、一呼吸に神が吹き込まれる命の息と考えるならば、この呼吸を通じて我々すべての創造物は呼吸によって、瞬時、瞬時に神から送られてくる命を受けているものだと言える。

ヨガではどのように呼吸をするかが、心のあり方、また魂の状態に影響していくと考えられているが、どのような呼吸で日々を送るか、またどのような呼吸で相手と向かい合うか、その事を意識することで、物事がよりクリアになってくるような気がする。
ヨガの時だけではなく、良い呼吸をこころがけようと思う。とりわけストレスを感じる場面では。

この2章の中では、わたしは昔から24節の 

< こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。>

という箇所が昔から好きだった。若い日、この聖書の箇所を、父母を離れたい、故郷を離れたいという想いの口実にしていたきらいもあっただろうが、父母と離れ、パートナーとなるべき男性といっしょになることで、わたし自身が完成するのだろうと考えていた。

そういう意味で非常に結婚願望が強かったのだ。男の子とつき合うとか遊ぶとかそういう気持ちの余裕などなく、出会うべきパートナーを早く見つけださなくてはとやっきになってい変な女の子だった。
背の高さとか、家柄とか、仕事やお金とか、世の結婚の条件とされるものはわたしにはどうでもいいことで、わたしの魂が響くイシュを探していた。

ヤン先生は2章の18節<主なる神は言われた。 

<「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」 >

このところで、この助ける者という言葉の語源について述べられた。この助け、エーゼルという言葉は、救済としての助けの意味があり、女性が男性の「助手」や「補助」的役割を担う存在として創造されたと解釈すべきではなく、むしろ英訳聖書の注解に示されているcorresponding to him (彼と一致する、彼と類似の、彼と対応しあう者)が、彼に合う助ける者の本来の意味を捉えた訳と言えるのではないかということだった。

男と女のパートナーシップは主従の関係ではなく、割れた二つの鏡がぴったりと合うようなそんな関係だいうヤン先生の言葉が心に残った。
彼女自身が北海道で牧師をしているお連れ合いと良いパートナーシップを築いているからこそ言える言葉なのだろうと思う。
わたしもまたそうでありたい。


さて、次はいよいよ安吾の読み深め。
mGの短くも的を得た感想にcorresponding したいと思う。


↑エンピツ投票ボタン

文芸ランキング


               *


  (参考 )
          創世記 2章7節〜25節

GEN02:07 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。
GEN02:08 主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。
GEN02:09 主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。
GEN02:10 エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。
GEN02:11 第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。
GEN02:12 その金は良質であり、そこではまた、琥珀の類やラピス・ラズリも産出した。
GEN02:13 第二の川の名はギホンで、クシュ地方全域を巡っていた。
GEN02:14 第三の川の名はチグリスで、アシュルの東の方を流れており、第四の川はユーフラテスであった。
GEN02:15 主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。
GEN02:16 主なる神は人に命じて言われた。 「園のすべての木から取って食べなさい。
GEN02:17 ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」
GEN02:18 主なる神は言われた。 「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
GEN02:19 主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。
GEN02:20 人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。
GEN02:21 主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。
GEN02:22 そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、
GEN02:23 人は言った。 「ついに、これこそ わたしの骨の骨 わたしの肉の肉。 これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」
GEN02:24 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。
GEN02:25 人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。


たりたくみ |MAILHomePage
My追加