たりたの日記
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2006年03月28日(火) |
をとめとなりし父母の家 |
海恋し潮の遠鳴かぞえては/をとめとなりし父母の家
(与謝野晶子)
実家の古本を整理していると思いがけない堀出し物がある。
深尾須磨子著「君死にたまふことなかれ」という古めかしい本が出てきた。 聞けば、母が大学を卒業して小学校の教師成り立ての頃、同じ学校に勤務していた父からプレゼントされた本だという。 そういえば、家の書架にこの本があって、その背表紙だけはずいぶん小さい頃から見ていたことを想い出した。
開いてみれば、本の扉と後ろのページに父が万年筆で書き込んだ詩(与謝野晶子の詩の引用だった)があった。 結婚前の父と母のロマンスが垣間見える。
ところで、この本はおもしろく、2日ほど夢中になった。 深尾須磨子が師事していた与謝野晶子について書いたもので、彼女の師に寄せる熱い想いが伝わってくる。 そして、今さらながら与謝野晶子の人となり、また作品に心惹かれた。 埼玉に帰ったら、与謝野晶子の作品をあたってみるつもりだ。 また深尾須磨子についても。
さて、我が父母の家での日々。 当然の事ながら、自分の家での時間とは異なる時間が流れる。
ひんやりとした仏壇のある畳の部屋で目覚め、味噌汁をこしらえ、母と朝のドラマを見ながらゆっくり朝ご飯を食べる。 洗濯物を干し、自転車を30分こいで父のいる施設へ。 もうわたしのことも分からない父だが、父の食事の介助をするのは豊かな気持ちになれて、好きな時間だ。
同じ丸いテーブルに6人の老人と4人の介助者。 わたしのすぐ隣りには年若い青年が慣れない手つきで食事の介助をしている。 「新しく入られた介護士の方ですか?」
「はい。2週間前に入ったばかりです」
「そうですか。父がお世話になります」
向かいにいる若い女性の介護士さんが声をかけてくださる。
「お父さん、若い頃はかっこよかったでしょ。今でも鼻筋通っててかっこいいから。」
「ええ、なかなかの二枚目でした」
とわたし。しばらく父の思い出話をする。
異なるのは時の流れだけではない。 今の時間が容易にタイムスリップし、わたしは様々な年齢のわたしに戻る。
昨日は門司に住む母の弟夫婦が訪ねてくる。 44年振りのこと。 わたしは5歳の時以来この叔父に会っていなかった。 叔父と話していると、すっかり消えていたはずの5歳の記憶が甦ってきた。 叔父の波乱万丈は小説みたいだ。 苦労をくぐり抜けてきたからなのだろう、とてもいい顔をしていると思った。
今日は父の所からの帰りに立ち寄った肉屋でなつかしい顔に出会う。 一緒に保育所へ通っていた子のお母さんだ。
「おばさん、おひさしぶりです。おぼえてますか?よしこです」
「ああ、そういえば目が昔のよしこちゃんのままじゃ。よく犬を怖がっちょったなぁ」 とおばさんは昔のままの顔で笑う。
午後、20年も会っていなかった幼馴染みののぞみちゃんが訪ねてくれる。 おばさんと二人でこしらえてくれたおはぎはおいしかった。 のぞみちゃんのお父さんとわたしの父は同僚だったから家族ぐるみの付き合いがあり、わたしはそこの家に一人でよく泊まりに行ったものだった。
「あの人どうしてる?」
「ええっ、こっちにいるの、会いたいなあ」
友人の消息がずいぶん明らかになった。 以前この日記に書いたアンティクドールを結婚祝いにくれた友とも会えるかもしれない。
ところで、昨日検査のため病院へ行くと貧血の数値が良くなっているので、リスクのある手術は見合わせようということになった。 母もわたしもどこかで「もしも」の事を考えないでもなかったから、緊張から解かれて気が抜けたようにほっとしている。
今日はやたらと話が前後するが、同居人mGが父の絵の事をブログ「カタチを越えて」に紹介してくれた。 その記事も、またなおさんのコメントも、うれしくて心に染みる。 父が読めるなら、理解ができるなら、そのことをどんなに喜ぶだろう。 母には携帯で見せてあげた。
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