たりたの日記
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2006年03月09日(木) |
「ナルニア国物語」を再び読む |
本屋に立ち寄り、「ナルニア国物語」1巻の「ライオンと魔女」と「ナルニア国からの招き―アスランと会うために―」を新たに求める。
英語クラスの5年生6人に、年度末のプレゼントにこの本を上げることにしたので、かつて読んだこの本をもう一度読み返そうとすると原書も日本語訳の方も手元になかった。誰かに貸すか差し上げるかしたらしい。この本は相当にあちこちに旅した本だったが、今も旅しているのだろう。 子ども達に手渡す前にもう一度読んでおきたかったので、しかたなく新たに求めたのだった。
3月4日から映画「ナルニア国物語」が始まった。 まだ観ていないが、18日に英語学校でこの映画を観て話し合うという企画があるので、その時に私の受け持つ子ども達もいっしょに連れていくつもりにしている。 しかし、映画で、この原作の要のところがきちんと表現されているのだろうか。原作者C.S.ルイスがこのファンタジーを通して伝えようとしたことが映画からも伝わってくることを願う。
このファンタジーは、イエスの人の罪の購いのための死とそれからの復活の奥義が秘められている。このライオンのアスランはイエス・キリストの象徴であることは、新訳聖書を読んだことがある人は気づくだろう。 初めてこの本を読んだ時(すでに大人になっていたが)著者のC.S.ルイスが神学者であることも、この本にはキリスト教の神学が実に巧みに隠されていることも知らずに読んだ。 それだから、この物語が扱っている世界の深さに度肝を抜かれたのだった。 そして貪るように7巻まで読んだ。 ファンタジーに児童文学に開眼したのはこの時だった。
それから数年経って、我が家の子ども達がこの本に出会った。アメリカの小学校で次男は小学校1年生のクラスのダン先生(そういえば、彼はC.S.ルイスと同じ、アイルランド出身だった)からこの本を毎日少しづつ音読していただいた。確か3巻まで読んでもらったと思う。その頃、長男は小3でもう自分で読める学年になっていたので、わたしが買ってきた英語のペーパーバックを読んでいた。 その時期にわたしもまたいくつか読み返した。
今回で3度目ということになる。 しかも今回は「ナルニア国物語」グッズがマクドナルドのおまけにまでなるほど人々の知るところとなった。
神と悪魔、誘惑、裏切り、犠牲、死、復活・・・理解するのに簡単ではないキリスト教神学がこのファンタジーには盛り込まれている。日本の社会はこの映画をどう観、またこの原作をどのように受け止めることだろう。 わたし自身、20代、30代の頃とはもっと違ったものが見えてくるだろう。
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