たりたの日記
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2005年05月19日(木) 尾崎翠 「第七官界彷徨」からやってくる匂いのこと

尾崎翠という作家のことは、「花束」と言う小品を文学ゼミで読んだ折に、4月25日の日記に書きました。

あの小品を読んだ時、それ一冊だけで予感した事が、当たっていたという事を今日は書いておきましょう。

ゼミの翌日、アマゾンに尾崎翠集成(上)(筑摩書房)を注文し、読み始め、ちびちびとそれは楽しみながら読み進め、今日、おしまいまで読んでしまいました。読み始めてすぐに、下巻を注文しなかった事の愚かさを悔やみました。

この作品集の中で一番好きなのは、代表作と言われる「第七官界彷徨」でした。いったいこの不思議に素敵な世界をどんな言葉で表したら、その匂いの一部でも伝える事ができるのかとさっきからうろうろと書き出せないでいました。とうとう書きあぐねてソファにひっくり返って小一時間ほど眠ってしまいました。眠った事は対して役には立ちそうにありませんが、とにかく思うままに書くことにします。

まだこのストーリーを読む前に、ゼミのメンバーのKさんに、その話はどのようなものですかと訊ねると、Kさんは一言、映画の「アメリ」のような感じですとおっしゃったのです。アメリというのはなんとも不思議で、みょうちくりんな、それでいてなつかしいような感じがする女の子が出てくる詩的な映画です。あっ、分かるとその時にぷんと匂ったその匂いが、ストーリーの中には確かにありました。

いえ、実際の匂いということであれば、このストーリーは、主人公、小野町子の兄、小野二助の部屋から匂ってくる肥やしの匂い(彼は肥料の研究をしている学生で、コケの恋愛と肥やしの関係について調べているのです)にまみれているのですけれど、まさか、そんな有機物の匂いを感じたというわけではありません。

肥やしの匂いではなく、「私はひとつ、人間の第七官にひびくような詩を書いてやりましょう」と、分厚なノートを詩でいっぱいにすることを夢見ている女の子の持つ、ハッカ菓子のようなすきとおった匂いを匂ったのでした。そして、そのどこにもないくせに、ひどくなつかしい匂いは、この本を読むうちにすっかり、わたしの身体に染み付いてしまったようです。思えば、小さな少女の頃からこの匂いはわたしを包んでいたような気がします。

今のこころもちというのは、出来る事なら、この匂いを消さないために、他の本を読むことをしばらくよしておきたいと思うほどです。
いよいよわたしも、翠病にかかってしまったのかも知れません。と言うのも、ゼミの仲間のTさんが、「尾崎翠だけ読んでいればそれでいい、後の作家のものなど読みたくないという気持ちになる」とおっしゃるのを聞いて、これはまた凄い入れ込み用だなと、ひとしれず感心したのですが、この作家のファンにはそういう信奉者が少なからずいるらしいのです。
でも、その気分はとても、とても分かります。そういう、特別な魅力を持つ作家です。

ひととおり読んだ後で、このストーリーを朗読するとしたら、どういう朗読の仕方が合うのだろうかと、しばらく声に出して読んでみました。いわゆる、アナウンサーや声優のようないかにも訓練したようなそつのない朗読は全く向きません。ぼそぼそと、独り事のように、いっさいの虚飾と艶っぽさを捨てて、かさりと枯れた花のような、人間の匂いの極力しないような朗読でなければなりません。けれど老婆のようなという枯れ方ではないのです。意図しないかわいらしさとユーモアの潤いがある、そんな朗読。果てしなく難しいと思います。

そういえば、このストーリーの主人公にどこか似ている、少なくとも、似た匂いを持っている人物をわたしはひとり知っています。この日記の読者(おそらく、今でも読んでくれていることでしょう)のSがその人です。

そういえば、このストーリーに出会ったところから、順に遡って行けば、Sに行き当たると言うのも、偶然の一致です。尾崎翠→勉ゼミ→朗読会(高橋たか子&正津勉)で、この朗読会の事を教えてくれて一緒に出向いたのが同じ高橋ファンのSでした。

さてさて、とても影響を受けやすいわたしですが、また激しく、興味と関心が移り変わるわたしでもあります。この匂いがいつまでわたしの回りに漂っていることでしょうか。
取り合えず、明日にでも下巻を注文しなくてはと思っているところです。

きちんとした感想でも書評でもなく、こんな感じの文章を書いたのも、言ってみれば、その匂いのせいです。


たりたくみ |MAILHomePage

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