たりたの日記
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2005年04月16日(土) |
「最終目的地は日本」 指紋押捺制度と闘った女性の話 |
この日、六本木の俳優座劇場で公演されている「最終目的地は日本」を観に行きました。 この劇は在日韓国人3世のピアニストの崔善愛(チェソンエ)さんの著書「『自分の国』を問い続けて」をもとに、崔さんの友人で米国在住の劇作家堤春恵さんが執筆したもので、とてもインパクトの強い、揺さぶられる劇でした。そして、崔善愛さんの指紋押捺を拒否する心情、その制度との闘いの背景がとてもよく理解できました。
崔さんは、指紋押捺裁判初公判(1984年1月23日)での初めての意見陳述で 「私が指紋押捺に屈辱を感じるのは、その裏に、戦争を起こし、おこない、侵略した、その時の人の心を見るからです」と語ります。そして、陳述の最後では 「私は日本がどんな国であっても、私をどんなに苦しめても、日本は私が最も愛し、なつかしく思う国です。日本が私を追放しても、私は最後まで愛し続けます。私を育ててくれた両親、先生、友人を私は尊敬しているし、私の感性は日本の自然によってつくりあげられたので、私を愛することは日本を愛することだからです。」と育ての国、日本への愛を表明しています。
なんと強い愛だろうと思います。日本の批判はしても、日本という国を愛していると心から告げたこともなかった事にはっとさせられました。国っていったい何なのだろう。血の繋がりに縛られない、民族主義や宗教にも支配されない豊かな関係を結び合うことが可能なのではないだろうかと、何か明るい希望のようなものも感じたのです。
確かにアメリカ合衆国で暮らした4年半の間、わたしはその国を愛しました。その国の弱さや間違いは十分見えましたし、差別の眼を向けられる事もありました。けれども、その国の豊かな自然、暖かい人々、同じ地球にある場所として共に生きる仲間として愛しました。そしてその場は外国ではあるものの、わたしや家族が生き、育つ、尊い場所であるには違いありませんでした。そして、その国に住みながらアメリカ人の悪口を言う日本人や同じマイノリティーでありながら、平気で差別的な言葉を口にする日本人に怒りを覚えた事も幾度となくありました。
祖国への愛と、生まれ育った日本への愛を見つめ、ほんとうに正しい事から目をそらさずに闘ったひとりの女性に、同じ女として心からエールを送ります。そして、わたし自身が問われます。ほんとうに正しい事のために、たとえそれが徒労に終わろうとも、自分の不利益になろうとも、闘うことができるだろうかと。
様々な困難と苦しみを潜り抜け、彼女の勇気ある行動が、日本政府の過った制度を変え、法律を変えました。このことはほんとうに大きな事です。
この劇について書いてある毎日新聞と西日本新聞の記事を御覧下さい。
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