たりたの日記
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| 2005年01月24日(月) |
ひとつのステージ、ひとつのドラマ |
昨日ステージのことを言葉にしようとすれば、言葉はいくつでも、どのようにでも出て来るような気がする。それはたかだか数分間のステージではあったものの、奈央先生の言葉を借りれば、そこには積み上げられた時間や想いがあり、ドラマがあるから。
お気軽にスポーツクラブでラテンのクラスに出ていた我々に、奈央先生から振り付けが入ったレッスン用のビデオを渡されたのが10月。「さあ、ステージよ!」と、こんなノリで。それからはそこに向かってひとりひとりの内にドラマが展開されていったに違いない。映画「シャル・ウイ・ダンス」にもどこか似た、おかしくも涙ぐましい(?)ひたむきな何か。未知の世界に足を踏み入れることのさまざまな心の動き。そして、練習。ビデオの前で、電車の中のシュミレーションで、メモった紙を繰り返し見ながら、お鍋をかき回しながら、それぞれがそれぞれの場所で、やり方で、このステージまでの準備をしたのだろう。そしてやがて、前日の練習、本番前の緊張、音楽、歓声、ステージの上のライト、目の前の観客、汗、拍手、安堵。 平穏にゆっくりと過ぎてゆく日常の中に起こった、ひとつのステージに立つという、ひとつのドラマ、そこからもらったものは決して小さくはない。
以下に、奈央先生の M’s Party の掲示板への書きこんだことと、舞台を見てくれた友人からのメールを掲載します。
<掲示板への書き込みより>
舞台の袖で控えている時のキンチョウというのは格別なものがあります。が、あのビデオで繰り返し聞いてきたおなじみのフレーズが耳に入りこんでくるや、スイッチ・オン。人格変ります。みなさんもそうなのでしょう。果てしなくワイルドになり、歓喜の叫び声と、ありったけのエネルギーを惜しみなく振りまきながら、みなが舞台へ踊り出し、後はその熱気の中で、身体は自然に動くのでした。そして一抹の夢のようにその時はあっという間に終わりを迎えました。
さて、けれども、その動きは客席からはいかに。 ビデオを見て、ほおっ。。 ああ、奈央さんはこれをイメージしていたのかと、その振り付けの意図するところを初めて知りました。その気持ちが悪いくらいに(と誰かが言ってましたけど)揃った、手や足の細やかな動き、そこから来るここちよさ。押さえた動きと解放的な動きのバランス。とにかく、あの人数で踊る動きとして、みごとな振り付けだとビデオを見ながら感動していました。
わたしはわたしの動きのみにフォーカスしていたわけですが、全体を創り上げる一つの要素になれたということに、後からじわりと嬉しさが湧いてきました。 これは客席から見ているのでは味わえない気分です。(去年までは客席で、溜息混じりに見ながら、ステージで踊ることがあろうとは露ほども考えてはみませんでした)
せんせい、みなさん、お仲間に入れてくださって、ほんとにありがとうございました。 打ち上げはさらにワイルド、楽しすぎ^^
<観客席からのメッセージ>Yさんの許可を得て、メールを転載
ドキドキしながら貴女のステージ出番を待っていました。 既に、次々と繰り広げられるアップテンポのリズムの心地よさと、 各ステージの見事な踊りに、じっと座って見ているのが物足りなくなって 斜め座り、上体、つま先でリズム合わせながらの私。 私の二つ隣の5,6歳のボクなんか、もうノリに乗って踊りながら見てた! ウ〜ン! いいなあ! 紫のコスチュームよく似合って、少女のように踊る貴女! たしかに色っぽくはないが、(ゴメン!) 生き生きと体中に楽しさ溢れていたよ! こんなステージ見ていると、 徹底的に!根幹から! オ〜シ!とことん生きてみようじゃないか! とエネルギー満ちてくる! 踊りもしない、見ていただけの私なのに、 ステージの熱気のおすそわけをもらって、 傘もささずに、みぞれ交じりの雪を顔に受けながら駅への道を歩きました。 ありがとう!
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