たりたの日記
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水曜日も英語学校の仕事ですが、今日は幼稚園年長児の一クラスのみ。けれども来週からスタートする「英語で歌おう第2弾」(勝手にわたしがこう言っているだけで、こうい名前のクラスではないですが)の準備のため、ゴスペルやマザーグースの楽譜をあれこれ探しては歌ってみたりピアノやギターで伴奏を弾いたり、はたまた教材を作ったりしていると、夜の9時になってしまいました。 暗い道が何よりいやなわたしは一人で家に帰る気になれず、そろそろ仕事が終わるであろう同居人を待っていっしょに帰ることにしました。
しかし頼みの綱の携帯電話がいっこうに繋がりません。メールの返事もなし。ということは彼は携帯電話を家に置き忘れ、持っていないのかもしれません。しかたがない、この寒空の下一人で帰るかと建物を出ようとしたところ、目の前に同居人。あたしがイラつきながら待っているんじゃないかって、そんな予感がしたらしいです。感謝、感謝!
「帰ったら何か食べるものあるの?」 「炊き込みご飯作ってきたよ」 「でもご飯でしょ。焼き鳥屋へ行かない?」 そういう誘いにはすぐに乗ります。我々は電車の駅と反対方向のバス停まで行き、あまりにも寒いので、しばらくその前の古本屋で本を物色しながらバスを待ち(ラッキーなことにマザーグースの大家、平野敬一の「マザー・グースの唄」をゲットできました)ようやく来たバスに乗り込みました。
そこは同居人が時折り一人で立ち寄る焼き鳥屋。わたしも仕事が遅くなった水曜日に2度同伴したことがあります。ところが今までと違うのは、あたしがお決まりのビールを申し訳程度に飲むのではなく、まずは焼酎のメニューに目を輝かせたことです。
「これ、北海道の紫蘇焼酎をお湯割りで」なんて注文している自分に驚きます。炭火で焼いた焼き鳥や冷たくなった体を温めるチゲ鍋とぷんと紫蘇の香りがするきりりとした焼酎がよく合って、これまで食べた焼き鳥や鍋よりはるかにおいしいと思えました。 不思議なもので、酒飲み達で溢れかえっているその場所が今までよりも居心地が良くなっているのですね。ま、そこまではいい気持ちになっていて良かったのですが、二杯目の麦焼酎を飲む頃から、もう、明らかに体がフワフワとしています。苦しくなったり真っ赤になったりはしていないのですが、とにかくフワフワしていてまともじゃないわけです。これが気持ち良く酔ったという状態なのでしょうね。
さて、そういうわたしの様子を見ていて同居人はとても電車と自転車で帰ることはできないだろうと判断したらしく、タクシーで帰るといいます。こういうゼイタクはわたしにとってはほとんど前代未聞。いくら同居人が出すといっても5000円近くのタクシー代はもったいないです。けれど、席を立って2、3歩歩くと、はぁ〜、ふらふらとうまく歩けません。わたし達はタクシーに乗り込みました。
かぼちゃの馬車に乗ったシンデレラのような気分とは大袈裟ですが、満員電車に揺られ、自転車で冷たい風を切って走るのに比べればなんといういい気分でしょう。 だめだめ、これに味を占めてはいけません。 また水曜日の夜、二人で焼き鳥屋の暖簾をくぐることはあっても、きちんと自転車こげるくらいの酒量にしておかなければいけません。
酒量というよりは飲み方ですね。空腹で濃度の濃い酒(自分で作るお湯割りは焼酎とお湯が4対6ですもの)を飲んだのが良くなかったです。 「鍛高譚・たんたかたん」という北海道の紫蘇焼酎は確かに美味しかったですけれど、あのふらふら感はいったいどういうわけでしょう。今度は家で良いコンディションの下、あの焼酎を試してみたいと思います。ちなみに、この幻の焼酎と言われていた「鍛高譚」、最近スーパーでも扱うようになったらしく、2件の店でセール(760ml 880円)で売られていました。
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