たりたの日記
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この日は教会暦では「全聖徒主日」 祭壇には、すでにこの世の闘いを終えて眠りについている方々の写真が飾られている。わたしの隣には、9月27日に夫を見送った若いタミが座っている。 悲しみも、寂しさも、なにかろ過されたような澄んで明るいエネルギーが彼女から伝わって来ていた。
聖書の福音書の箇所はイエスがこれから十字架に架かろうする前、弟子たちへ向けた最後の説教。 この後、イエスはイエスを愛し、イエスに付き従っていた弟子からさえも見捨てられ、ひとり十字架に架かる。そして十字架の上では「主よどうしてわたしをお見捨てになったのですか」と神からも引き離されるという全くの孤独を潜ることになる。 その前に、そのことを知りつつ語った言葉。
この言葉を書いておこう。
<ヨハネによる福音書、16章25節から33節>
「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから来たことを信じたからである。わたしは父のもとから来て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」 弟子たちは言った。 「今は、はっきりとお話になり、少しもたとえを用いられません。あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」 イエスはお答えになった。 「今ようやく、信じるようになったのか。だがあなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が共にいてくださるからだ。これらのことを話したのは、あたたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
― しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている―
この言葉は弟子たちに語ったイエスの言葉であるはずなのに、いつも音声さえ伴ってわたしの真ん中のところへ響く。わたしへの語りかけとして。 同じようにタミもその励ましの声を聞いているのだろう。
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