たりたの日記
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2004年10月06日(水) comfort というメールが届く

よしやの葬儀から1週間が過ぎた。
葬儀の日にいただいたユリの花の蕾が一つつづ咲いては、部屋の中に良い香りを満たしていき、ちょうど今日すべての蕾が咲ききった。

この1週間、よしやがいなくなっても、いつものように子ども達を教え、本を読み、ジムへも行った。よしやがいなくて淋しいというよりは、身近にいたよしやが天へ帰ったことで、その場所がさらに親しい場所になった気がして、今日などは空いっぱいに広がるうろこ雲を見ながら、その空いっぱいによしやの魂が広がっているようなすがすがしい気持ちになったのだ。

しかしこれはよしやとの関係が日曜日、教会で顔を会わせ、二言、三言、言葉を交わすくらいのものだからであって、いっしょに暮らしていたワイフのタミの痛みはどれほどのものだろう。夫や子ども、親兄弟の死にすら遭遇していないわたしには、その事の痛みが想像できない。自分の死はあっさり引き受けられそうな気がするが、家族の死はそうはいかないのではないか。
タミが今一人で過ごしているのではないことがせめてもの救い。アメリカから訪ねて来ていたタミのお父さんと入れ替わりに妹がやってきた。一月ほど滞在し、その後はお姉さんが来ることになっている。

今朝、パソコンのメールボックスを開けると、comfort というタイトルのメールが届いていた。タミはよしやの病気が分かってから、アメリカの友人や家続、また日本にいるアメリカ人の友人に向けて、病気の経過を伝え、祈りを求めるメールを続けて出してきたが、そのメールをわたしにも送ってくれているのだ。

comfort 、日本語に訳すと慰めとういうことなのだろうが、もっと強い意味がある。com はすっかりという意味があり、fortは力強いという意味。だからcomfort という言葉は、すっかり力強い状態にするという意味を持っているのだ。

タミは神がさまざまな方法で、自分にcomfort を与えていることを感じ、自分がどんなに神から愛されているのかを実感していると書いている。
つらくて眠れない時や体が緊張してこわばっている時、頭から足先にかけて細かい波のようなものが繰り返し流れ、その度に緊張から解放されたと言う。また、絶え間なくやってくる波は彼女のために祈ってくれている多くの人からの祈りに違いないと。身体の中を祈りが通りぬけるという不思議な体験、しかし分かる。よく分かる。人の思いはエネルギーとなって必ずや相手に届くとわたしは信じている。



よしやが書いていたWeb日記、泣いて 笑って 空をみて もう書く人もいないのに訪ねてみると、なんとタミが、続けて書いていた。タミはアメリカ人。5年ほど前には日本語を話したり書いたりなどしたこともなかったのだ。そのタミが、日本語でWeb日記を書いているのだから凄い。どの言葉もすみずみまでタミらしくて胸に響く。悲しみや痛みの中で、前に進んで行こうとしているタミがそこにいる。よしやは日記でみんなに勇気をくれたが、その役目をタミはよしやに代って担うつもりなのだろう。


Many things/thoughts still make my heart ache, but there is treasure hidden in the pain... the memory of loving and being loved.

(たくさんの事がらや想いは、今だにわたしの心に痛みをもたらします。
けれど、その痛みの中には隠された宝があるのです…愛したことの思い出と愛されたことの思い出という)

タミのメールの最後にあったこの言葉に胸がふるえる。悲しみのためではなく、愛というものが持つ力に目覚めさせられて。






たりたくみ |MAILHomePage

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