たりたの日記
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| 2004年05月02日(日) |
死の陰の谷を行くときも |
昨日と今日で、世界がまるで変わってしまったということがある。
思いがけないアクシデント、 予期せぬ人の死、 死にかかわる病気の宣告、
こういったことからほど遠く、日々は平和に過ぎているが、 わたしたち、一人一人、この壊れやすい、生身の身体を持っているということが、取りも直さず、日々死と隣り合わせで過ごしているということなのだ。
今日の主日礼拝の始めの詩編交読を、わたしはいつものようにはっきりとした大きな声で読むことができなかった。 身につまされていた。
それがその通りと思うのに、なおかつそこには痛みがあった。 いや、痛みだったのだろうか、慰めであったかもしれない。 人は慰めに合う時にもくずおれるではないか。
いづれにしろ、昨日と今日の間に引かれた線はきっぱりとしている。 その線は見えなかったものに光を当て、 隠れていたものを引きずり出す。 そうして、新しい決意と、勇気とを促している。
詩編 23編より
主はわたしの羊飼い、 わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを緑の野に休ませ、 憩いの水のほとりに伴い、 わたしの魂を生き返らせてくださる。
主はみ名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。 死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。 あなたがわたしと共にいてくださる。 あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。
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