たりたの日記
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2004年03月24日(水) |
ノラ・ジョーンズを聞いている昼下がり |
ここ数日間、ずっと家にいて机ならず、ダイニングテーブルの窓側のわたしの場所にずっと座り続けている。 原稿に赤鉛筆を入れたり、それをまたパソコンで打ち出したり。 時々、窓の外の春の木々や花々に目を移す。 しかし、音はない。どういうわけかここ数ヶ月、わたしは音を必要としないのだ。できれば物音ひとつ聞こえない静寂が欲しいと思う。
部屋には音が必要だった。そういうものだと思っていた。音楽があってはじめて、その空間が生き生きしてくるような気がした。 その時の気分で欲しい音は違う。シンフォーニーを聞きたいと思うことはめったにないが、室内楽、声楽曲、ケルト音楽、グレゴリアンチャント、シャンソンにジャズ、聞きたい音楽は少なくない。そうそう去年は毎日、ほぼ一年に渡って、例えば、自転車に乗っている時でさえ、キャロル・キングの「Love Make the World」が必要だった。自転車を走らせながら途中で電池が切れたりするとすぐさまコンビニに飛び込み、電池を入れる間も待てないほど、その音が必要だった。まるで中毒のように。
けれど今、欲しい音がない。身体が音を求めない。どうしてだろうなと思う。決して音楽を受け付けないというのでもない。ジムのスタジオで音楽が流れ始めると、急に身体にエネルギーが満ちあふれ、動きたい気持ちにかられる。動きながら歌ったりもする。
しかし、こうしてひとりでテーブルの上で書いたり考えたりする時、音、どんな音からも遠ざかりたいと思う。それでいて、頭の中では必ず何がしかの音楽が聴こえているのだが・・・・
春休み、わたしは仕事が休みになったが、子ども達も同じく大学が休みなので、望むと望まないとにかかわらず、さまざまな音が進入してくる。 一番嫌いなのはテレビの音。
「ね、音小さくしてよ」 とは言うけれど、さすがに消せとはいえない。
なんだかわからないけれど、Mがあまり好みじゃないシンガーの歌を目の前でかけるから、 「ね、もっと別の聞かない?」 と頼んだ。
「これならお母さん好きだよ」 Mが選んだのはノラ・ジョーンズ。
彼女のステイバックしたのびやかで豊かな歌が確かに心地よく入ってくる。 ずいぶん久し振りに音を取り込んでいるという気がする。 2人で昼ご飯を食べながら聞いていたのだが、わたしはその歌を聴きながら 書きたくなってきた。 音から言葉が出てくるというのも久し振りのこと。 というわけで、この昼下がり、ノラ・ジョーンズを聞いている。
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