たりたの日記
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2003年06月02日(月) |
ねえ、制服ってまちがってなあい? |
さっきからこんにゃくやら厚揚げやら大根やら人参やらを煮ながら、頭はしきりにひとつのことを巡っている。それは制服というもののこと。制服への腹立たしさは今に始まったことではないが、一斉に夏服に変る衣替えの今日。制服に支配されていた頃のトラウマが疼くのだ。
日本の中学校と高校から制服がなくなるとのはいつ頃のことになるのだろうか、それとも私の孫が中学校に通う時分になっても、首のまわりが窮屈なひたすら真っ黒な詰襟を5月31日まで着続けるという理不尽が続くのだろうか。 あるいは、いくらズボンを掃きたくっても許されず、どうしたって性的な興奮を引き出さずにはおかない極端に短いスカートの下から生足をにょっきり出して自転車をこがなければならないのだろうか。そんなことを考えると自分が生徒だった時の日本の社会へ向かう何か絶望的なやりきれなささえ甦ってくる。
人間の一生で6年間は長い。その6年の間、毎日人と同じものを、その日の気分と無関係に着続けるということの不自然さに誰も何も言わない。当の本人たちも。
不自然なこと その1 個性の発達をさまたげる
いくら個性を尊重するなどと教育目標に掲げても、制服(ユニフォーム)は見た目がどこ子も同じに見えるようにわざわざユニ(ひとつ)のフォーム(形)の中に子ども達を閉じ込めるものに他ならない。そのような中で個性が尊重され得るはずがない。
不自然なこと その2 子ども達の色彩感覚を損なう
だいたい制服は黒、紺、グレーと相場が決まっている。教室はモノトーン一色である。そこには色がない。しかし、色はエネルギーそのもの。色がさまざまに人の心理に影響を及ぼす。ある色の服を着たい時にはその色が持つエネルギーを身体や精神が必要としているのだし、色と日々接することで自分自身の心にも敏感になる。それに6年間、このモノトーンの中に子どもを閉じ込めておいてどう色彩感覚を育てるというのだ。
不自然なこと その3 きわめて不健康
思春期の子ども達は新陳代謝が激しい。体内から出る分泌物が当然多い。常識から考えてそういう年齢の子ども達にはTシャツとジーンズに代表されるような毎日ざぶざぶ洗えて吸水性も良い、綿素材の服だろう。しかし、ウールや化繊でできている多くの制服は洗濯機で毎日ざぶざぶ洗えるようには出来ていない。
不自然なこと その4 制服こそがセクシャルなコスチューム
女子高生の制服がセクシャルではないとはもはや誰も言わないだろう。しかしまるで裸の王様よろしく学校や教育委員会はその社会的な現象をことごとく知って知らぬ振りをし、制服はあくまで学生らしいという態度を貫く。男性の性的刺激をあおるこの上なく危険な格好を若い女の子たちに強要していることを誰も認めようとはしない。そうして女の子たちは敏感にそれを嗅ぎ取り、それを逆手に取って制服を武器にする方法をゲットした。もし制服がなかったら、これほどまでに援助交際などというものが蔓延しなかったのではないだろうか。
制服のこと一つとってもこの国の常識はどこか狂っていると思ってしまう。 あぁ、世の人に問うてみたい 「制服って間違ってない?」と。
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この日記をお読みの方、きっと制服に関しては賛否両論あることと思われます。制服について、それぞれの立場で意見を言い合うことなどはできないものだろうかと常々思っています。
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