たりたの日記
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2003年03月23日(日) ジョーンバエズのようだと言われたからには

今日は教会学校にNちゃんとNちゃんのパパとママ、それに生まれたばかりの赤ちゃんがそろって来ていた。赤ちゃんは好きだが、生まれたばかりの赤ちゃんというのは感動的なものがある。この存在には何もかなわないっていう感じ。生まれたての赤ちゃんがいちばん神さまに近い存在だという気がするからだろうか。

今日の教会学校の説教は長老のMさんのゲストスピーチだった。Mさんのお母さんが72歳の時、夕食をいっしょにすませて帰ろうとするとMさんのお母さんが「これからがわたしの仕事なの」と言う。怪訝に思ったMさんの奥さんがいったい何の仕事なのかと聞くと、もう身体も弱り目も見えなくなっているMさんのお母さんの仕事というのは、4人の子どもたちやその家族のことを順番に時間をかけていのるのだという。MさんもMさんの奥さんも、年老いたお母さんが毎晩、そうやって祈っていることを初めて知り、母親の愛の大きさを知ったと、そんなお話を子ども達に聞かせてくださった。聞きながら思わず涙が出た。わたしの母もまた夫の母も毎日かかさずわたしたちの家族のために祈ってくれていることを知っているからだ。わたしも祈ることがわたしの仕事と言い切れるような母親になりたいと思った。

お話の後、わたしは思いついてひとつの歌をみんなに紹介した。「パパとママと赤ちゃん」というゴスペルフォークを、まだママになっていない20代の私はギターを弾きながら良く歌っていた。それ以来、歌うこともなかったが楽譜を見るとコードも覚えていて、ちゃんと弾き語りができた。いつものぶっつけ本番だが、若い頃あきるほど歌っていたこの手の歌はもう身体の中に入ってしまっているかのようにいつでも取り出せるようだ。Nちゃんのママとパパも喜んでくださった。

さて、それだけでも充分うれしい気持ちだったのだが、さらにご機嫌なことがあった。礼拝の後、Mさんがわたしが歌う様子はジョーン.バエズのようだと言ってくださったのだ!これは全く殺し文句に匹敵するのだが、Mさんはわたしがそれほど舞い上がるとは予想していなかったらしい。中学生の頃、ジョーン.バエズのLPを聞き、わたしは虜になってしまった。彼女の声も歌い方も、また歌詞もメロディーも、そのすべてに心をつかまれた。歌で反戦を訴え、人種差別を訴える60年代の象徴のような彼女に、何か崇高なものも感じていた。学校から帰るとギターをかかえ、LPを繰り返し聞きながら、ギターのフレーズをコピーしてはまねをしては歌っていた。リベラルなものへの傾倒も、またアメリカや英語への憧れも窓口は彼女だった。考えてみれば、あの思春期の頃、彼女の影響はかなり大きい。

夕暮れ時の大宮駅では若者たちがギターを鳴らしながらラブソングなどを歌っているが、わたしはここで反戦歌を歌いたいと密かに思っている。若かったら迷わず歌うのだけれど、いくらブーツカットのぴちぴちのジーンズをはいていたとしても、若者には見えないのだから、通る人から「ぎょっ」という顔をされるに決まっている。そういうルール破りに、人は厳しいものだ。それを覚悟で敢えて歌うか。どなたかごいっしょしません?若くても、そうでなくても。





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