たりたの日記
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2002年11月09日(土) 日記を読み返して

昨日庭の植え込みをするのに、去年はどんな具合だったのか11月の日記を読み返してみたことがきっかけでその前後の日記を読み返してみた。こうやって毎日ように書きなぐっているとどんなトピックで書いたかくらいは記憶していても、書いた内容どころか、記録してある事柄の記憶さえすっかり忘れてしまっている。例えば去年の暮れの大掃除の真っ最中に私の不注意から掃除機を壊してしまったということは覚えているがその掃除機にヒーリングをしたら直ったなんていうことは記憶からすっかり落ちていた。それだから自分の日記なのに、へえこんなこと書いている、こんなことしたんだなどと驚いたり感心したりした。

去年の12月5日の日記のタイトルは「ダイエットその後」として4ヶ月のダイエットで目標の体重が5キロ減までは漕ぎつけたがこれ以上は運動しなければ無理だろうと書いている。また自分の運動嫌いを嘆いて、「この運動嫌いが治れば人生変るだろう」などと書いている。この時には今のように週に4日5日とジムに通い、駅から家まで走って帰るなんていう自分を想像してみることすらできなかった。運動だけではない。去年の私が考えなかったことを考え、しなかったことをしている。同時に去年していたことをぱったりと止め、去年頭の中をいっぱいにしていたことは今その影すら見あたらない。

今年はひとつの変り目の季節だったのだろう。しかしそれもけっしてひとつところには留まってはいない。何かがまた変化しつつある、そんな兆しも感じている。去年の私が1年後の私を想像できなかったように今の私はこれからの私の変化を知ることはできない。そういった内側からの変化はある意味自分のあずかり知らぬところで起きるからだ。出会いもまた別れも自分が作り出すものではなく向こうからやってくるのだし、自分がこちらへ行きたいと思ってもけっして事柄はそうはすすまない。けれどもそういうひとつひとつの事柄の中に上なる方の意図があるのだろうと思う。
すべてのことには時がある。


たりたくみ |MAILHomePage

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