たりたの日記
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2001年08月20日(月) 死んだ男の残したものは

谷川俊太郎ファンサイト「空の嘘」では8月の詩が新しく掲載されているはずだが、HPの立ち上げやら更新やらで、詩を味わうためのゆっくりした気分が訪れなかった。今朝やっと開いて、はじめに載せられている詩のタイトルにはっとした。

「死んだ男の残したものは」

この詩を私は歌として知っていた。知っているばかりか、ある時期、毎日のように歌った歌だった。あまりになんども歌うと、言葉もメロディーも自分の肉体の一部でもあるように、歌の細部が細胞のなかに息づいているように感じるものである。そしてその感覚はその歌からしばらく離れた後で何かの折りにふと聞いた時に激しい衝撃とともに甦る。その歌といっしょに、すでに過去になったはずの時間が、そこに存在した過去の私といっしょに立ちのぼってくるのである。

この歌を私は16歳から18歳あたりにかけて歌っていたと思う。その歌を作った人のことなど考えてもみず、これを自分の歌であるかのような親しさで歌っていた。聴衆がいるわけでもない。たったひとりで自分の部屋の閉じられた空間で歌うのだが、私の想いはその場所を抜け出し、戦争で死んだ男や、女や、子どもや、兵士の上を彷徨っていた。起こってしまった戦争への取り返しのつかない無念さと、今もどこかの戦争で死んでいる人々がいることへの怒りのようなものを歌うことで吐き出していたように思う。何もできないので、せめて歌うことで社会に抗議しようとしていたのだろうが、若い者にありがちな感傷といわれるたぐいのものであったのかも知れない。

今朝、はっとしたのはあんなに自分の歌として歌い続けた歌を今歌っていないということだった。あの歌の中で出会っていた死んだ男や、女たちのことを私は長いこと忘れてしまっていたことを知る。どうして忘れることができたのだろうと思うと同時に、あの頃のきりきりとするような痛みを今の私は持てないのではないかと疑った。

楽譜が並べてある書架の奥から1冊のノートを取り出す。
表紙にはMy Songs Note BooKというタイトルが書かれてあって、その下には
Short sisters and brothers
Arm up with love
and
Come from the shadow
というボールペンの文字がある。確かに私が書いたに違いないが、いったいどこから写し取った言葉なのか、さっぱり思い出せない。
もう、閉じ糸が切れてばらばらになっているそのノートにはぎっしり歌の言葉とギターのコードとが書かれていた。その多くは反戦歌やプロテストソングと言われるジャンルの歌だ。日本の歌もあれば、英語のものもあった。どの歌も歌詞を見なくても歌えるくらい今だに親しかった。
このノートをめくりながら、下手なギターのコードを押さえながら、私は毎日のように歌っていたのだ。願いや叫びを歌といっしょに体の外に出さずにはいられない私がいた。

「死んだ男の残したものは」は68ページ目に、岡林信康の「手紙」の次ぎに書いてあった。谷川俊太郎作詞、武満徹作曲と記してある。
あの頃はまるで、孤独の中で歌っているように思っていたが、この歌にはこの歌を作った人の魂があって、私はそれに動かされ、感化されていたのだと今になって気がつく。知らないところで、自分でもそれと気づかずに、私は他の魂と交流していた。そしてその交流は私というものの一部を確かに形づくったのだ。
忘れていたこの歌と、今新しく出会いたいと思う。今の私の心で生々しくその歌を感じたい。今の私はこの歌をどのように歌うのだろうか。


(この詩は「空の嘘」谷川俊太郎の詩を読んでみようのページにあります。「たりたガーデン」のリンクよりどうぞ。)


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