たりたの日記
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2001年08月12日(日) サマーキャンプ終わる

教会学校のサマーキャンプ「かみさまへのてがみ」が無事に終わった。
11日の午前11時から翌日の正午まで10人の子どもたちと過ごした。
一日いっしょに寝泊まりしてみると、子どもたち、ひとりひとりのことがよく見えてくる。子どもたちとうんと近くくなり、もっと好きになる。子どもたち
は親から離れると、おのおのおエネルギーがよりくっきりしてくる。大人といることで、隠れてしまっていたその子本来の力のようなものが見えてきて楽しい。そして、子どもたち自身、少し緊張はあるけれど、そういう自分が好きなのだ。キャンプはいつもと違った自分を発見する場である。

マーブリングは、何色かの色チヨークを水を張った容器の上で薄くけずり、そこに紙をのせて引き上げるだけの作業なのだが、出来上がる模様の意外性が楽しく、子どもたちは何枚でも作りたがった。そして思いのほか美しいものができた。

「かみさまへのてがみ」のプロジェクトでは、はじめ、子どもたちが書いた神さまへの手紙を何人かの子に読んでもらい、その後3つのグループに分かれて自分の手紙を書くというものだったが、意外にも、始めの読む場面が盛り上がった。スタッフのMさんのアイデアで、本にある子どもの手紙を便箋に書き写し、封筒に入れたものを3通、教会のメールボックスに入れておいたのだ。Mさんが、「いつも、わたしがやっている仕事を手伝ってくれる人?」と聞くと、みんながやりたくて手をあげる。そして、取ってきた手紙を読んでくれる人と聞くとみんなが読みたいとわいわいいいだす。じゃんけんで勝った子は一年生でうまく読めなかったりするのだけれど、それでもみんなの前で読むのがうれしそうだった。その後のグループごとの手紙かきも、スムーズにいったようだった。どの子の手紙も、本の中にある子どもたちの手紙と同じくらいすてきでこころに響いた。自分で染めた紙に書いた手紙は模造紙2枚分に貼られ、すてきな作品になった。

スナックはポップコーン。アメリカ人のBが輸入食品屋からポップコーン用のとうもろこしを買ってきた。Bのまわりに子どもたちが集まり、とうもろこしがはじけるのを見守る。Bのパフォーマンスを子どもたちは手品を見るように見ていた。

カレーを作る。後かたづけをする。家ではこんなにおもしろがってやることはないだろうに、たまねぎやじゃがいもを切ることを喜び、みんなの皿を洗う順番を競いあう。何も働くものがない子はほうきとちり取りを持ってきて床を掃き始めた。テーブルを拭いてる子もいる。なかなかである。

カレーの後のデザートはアメリカのキャンプ菓子のサモア。あいにくの雨で外で火をおこすことができなかったが、Yくんがガス台を使って炭をおこしてくれ、みんなでマシュマロをスティックに刺して、それを炭であぶり、とろけたところでそれとチョコレートをグラハムクラッカーにはさんで食べた。ダイエット中の私は横目で見ているだけだったが。来年は食べられるようにがんばろう。

銭湯は女湯はAちゃんと Mちゃん、そしてアメリカ人の Tと私の4人だけ。男の子たちの方は大人4人でも大変だったようだが、私たちは平和そのもので、時間が短いのが残念なほどだった。私は女の子もいなければ、姪もいない。Tはまだ子どもがいない。「時々、この子たち借りて、お風呂にこようか」と話した。風呂は一人に限ると思っていたけど、子連れもなかなかよいものである。

やがて夜。礼拝堂に布団を敷きつめてみんなで寝る。心配だった低学年の子たちも問題なく眠りに付いた。何度もトイレに起きる子や、むっくり起き上がり、別の子の布団に侵入する子や、おねしょしたと勘違いして泣きそうになってる子や、それなりのドラマがあり、私はぐっすりねむることはできなかったけど、彼等の夜に付き合ってそれなりにおもしろかった。

朝、子どもたちはふっくらとみずみずしかった。
どの子も自分で寝具の始末をし、着替えも洗面もスムーズである。何も言わないのに、遅い子どもや、小さい子を手伝ってやっている。子どもってこんなに偉かったっけ。さんざんだらしのない10代を見てきただけに、小さい頃の子の偉さをすっかり忘れていた。

Tのアイデアで、絵いりのホットケーキつくりをした。はじめに、ホットケーキの種にメープルシロップを入れた生地をホットプレートの上にたらしながら絵を描き、しばらく焼いてからその上にシロップを入れない生地を流して焼く。ひっくりかえすと絵いりのホットケーキの出来上がり。何人かの子は家に持って帰るための分も作っていた。私はつい、時間がかかるなあと母親感覚で物事を見てしまうが、Tは楽しむ視点をまず大切にする。朝食が想像的な遊びの場になった。おみごと!

スタッフは教会学校の教師と英語学校の教師の6人だが、部分的に牧師、教会のメンバーの手伝いがあった。我が家の大学生も助っ人の役を果たし、もっぱら男の子の子たちの闘いの相手をしていた。

その昔、小さい私は毎年教会学校のキャンプを楽しみにしていた。きれいな河のそばの廃校になった小学校がキャンプ場だった。河で泳いだり、河原で飯ごう炊飯をしたり、夜の花火やおばけのはなしもわくわくした。
我が家の子どもたちも、アメリカにいる間は教会のバイブルキャンプ、町の主催するデイキャンプ、YMCAが主催する2週間通しのキャンプと夏はキャンプ三昧。子は親から離れて楽しみ、親も子から離れて楽しんだ。

子どもたちの相手をしながら、息子が言った。「ぼくたちが行っていたキャンプのカウンセラーたちはたいへんだっただろうね。これが2週間続くんだから。」
私も、今さらながら、私のキャンプに付き合ってくれた大人たちや、息子たちの世話をしてくれたキャンプカウンセラーたちに頭が下がる。お世話になった。まだまだ次ぎの世代に手渡すという「お返しは」足りない。息子、君もがんばりなさい。


たりたくみ |MAILHomePage

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