たりたの日記
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2001年06月26日(火) 誕生

今書いているこの時間は6月28日の午後3時という時間であるが、この日記の日付けは26日のままだ。やはりHの誕生の次第を書いておこう。

長男Hが生まれたのは26日の午前3時22分50秒だった。育児日記の第1ページめにその時間が記されている。ホームビデオなんていうものがなかったから、誕生の瞬間を留めるべく分娩室にテープレコーダーを持ち込んでいた。助産婦のUさんが、Hが生まれた瞬間に時計を見て、高らかにその時間を読み上げてくれたので、その時間が産声とともに記録されることとなったのである。

予定日にはまだ早かったが、朝からしくしくとお腹が痛むので夕方の6時、夫が帰ってくるのを待って病院へ行くと、すでに三指半開大ということでそのまま入院となる。夫は入院のための荷物を取りに帰り、主治医の女医のT先生は夜中すぎのお産になるから、仕事持ってくると、自宅から書類などを取ってきた。その病院の産婦人科は看板を掲げたばかりで、入院している人は2、3人というところではなかったろうか。そのような時期であったからか、医者の都合で生まれる時間を調節されることもなく、あくまで自然な分娩をということで、長期戦の構えだった。
病室でT先生と夫と私の3人でなにやら話しをしているうちに、陣痛が始まった。この時のために、本屋で見つけたラマーズ法の本を頼りに、妊娠してすぐからラマーズ法の呼吸を練習し、イメージトレーニングを積んできたのだった。陣痛の感覚は本に書いてあった通り、次第に短くなり、それに合せて、呼吸法を変えていく。夫は時計をにらみながら陣痛の間隔を計るタイムキーパーを務めた。しかし、痛い。暴れ馬に乗っているようである。ひとたび呼吸に乗りそこねると、馬から振り落とされるような感じで息もできないほどにのたうちまわる。そこでなんとか呼吸の波を取り戻すと、ちょうど手綱を握っているような感じになり、なんとかコントロールできるのである。幸いなことに陣痛と陣痛の間は意識がなくなるほど眠く、次ぎの陣痛で起こされるまでのわずかな時間なのにことんと眠りに落ちた。
さていよいよという時になり、夫は外に出るように言われた。わたしたちは本でラマーズ法を学び、夫がお産に立ち会うということを良しとしていたが、ドクターも助産婦さんも、この時は夫が立ち会うということに準備ができていなかったようである。同じ病院で2年後、出産した時は夫はおろか、見学の医師や看護婦も分娩台を取り囲んでおり、Hの時の産室に比べるとずいぶんにぎやかで解放的になっていた。
短息呼吸に助けられつつ、何回かのいきみを逃し、後は力任せにがんばる。産道を通ってくる新しい命に感激が押し寄せる。その時、わたしの内部では大きな変化、まるで化学変化のようなことが起こっていたような気がする。母となりつつあったのである。
育児日記には「大きなかたまりがすべり出たような気がした」と書いてある。
ドアの外で待機していた夫が呼ばれ、彼は赤ん坊と私とを繋ぐ、ホースのように太くて長いへその緒を見た。私はそれを見ていないが、彼はそこにはさみを入れた。生まれ出た赤ん坊が横にいる夫にあまりにそっくりなので大笑いが起こった。
命がひとつ生まれた。朝になろうとしていた。


たりたくみ |MAILHomePage

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