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愛することの大切さ - 2002年12月01日(日)




家庭の環境とかいろんな面での影響で、自分は随分と友達から精神年齢が恐ろしく高いと言われてきました。
私の姉貴の彼氏にも、「お母さんみたいだ。」とか言われたり、友達からは「アンタほんとにうちらとタメなの?」とか冗談で言われたりします。

マジでそれくらい精神年齢が以上なほど大人ならしいです。

でも、それは周りが思っているだけであって、自分ではまだまだ子供だと思っています。


今日「僕等の、足跡」のAsukaさんの日記を読みました。
“同性愛”について、彼女なりに思った事や感じた事を書いてありました。
Asukaさんは“同性愛と言うものに、私はまったく無知であった”と言っていました。
実は私にも、この1年半以上やっているこの日記の中に、多少“同性愛”について考え、書いている部分があります。
思い出して今日、昔の日記をちらっと読み返してみて、自分はこのときこんなことを思っていたのか、とかいろいろ思い出していました。

日記の中に『異性愛社会』というタイトルで書いた日記があります。
私の中であの日は、衝撃的な一日でした。
『ホワイトリボン』を知って、現実を突きつけられて、“同性愛”というものの過酷さの真実を知りました。
そしてそれを書き記しました。
書いた日にちはあまりよく覚えていません。それから1年近く経っているかもしれません。

今日私は1年近く経った自分と、1年近く前の自分と向き合いました。
そして自分の愚かさに気づいてしまったのです。

過去の自分はどれほどの気持ちを持って、それを書いていたか。
そして、今自分は“同性愛”というものに対してなにを感じているのか。

まったく成長もなく、1年という長い時を、私は過ごしてしまいました。
改める事もなく、ただまたその世界に溺れるだけ。
自分は一体なにをしていたんだと今更ながら思ってしまいました。

あまりにも自分が馬鹿でしようがありません。


多少の成長はあるかも知れません。
1年という日数の中で体験したものが、経験に変わっているかもしれません。

だけど、そういうことに目を向ける姿勢、考えは、昔のほうがずっと大人であったし、愛がありました。
その事に対する愛と言うものがなければ、なにも考える事も出来ないし、訴える事も出来ないです。

私はあの日記を書いた時、“同性愛者”という人達のその持っている心の温かさに心打たれたし、その“同性愛者”であるという人の生き方や人間性を愛していました。


今はそれを敏感に感じ取る事が出来なくなってしまいました。
無知の世界に逆戻りしています。



Asukaさんの日記は私を昔に戻してくれました。
ありがとう。

無知であるという事と、全てのものを愛せないという事は罪であると思います。
少し大袈裟な表現です。
だけど、社会的な問題はきちんと知った方が言いです。
理解した上で、私達はそれに対してなにか上手な対策を打たなくてはいけない。
偏見や差別は世の中のそこらかしこに溢れているけれど、偏見や差別をするということは、愛のない人だと思います。
全てを愛し、受け止める事は大切であり、何かを嫌ったり拒んだりする事は、それだけで罪になってしまうような気がします。


“同性愛”というものだけではなく、その他全てのものが共通しています。
だれかを嫌ったり、避けたり、そんなことをしたところで、それは全く自分にとってプラスのチカラにはならないんだと思います。
全てを受け入れて、愛する事が大切で、それをすることによって、相手にも自分にもプラスのチカラになるんだと思います。



ここまで書いていて、凄く感情移入してしまって、なんだかちょっと自分でも不思議な気分ですけど、これは今私がありのままに思った事で、大切な事だと思うので、ここまで読んでくれた方は少しでもいいから、これを心にとどめていて欲しいです。




ここまで読んで頂いてありがとうございました。
感謝します。


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