某バンドの解散ライブに行って来た。
3時間、35曲って言ってたっけかな。 時間の長さを全然感じない、素晴らしいライブだった。 初見だったのだけれど、これが最後になるなんて、 正直残念だと思った。
これまでいろいろなバンドの解散を見てきて思うのは、 解散するバンドの音って、如実にそれを現しているということ。 そりゃそうだ。だから解散なんだ。 だから解散ライブが素晴らしいライブ、ってのは本来ありえないことで。
でも、ナンバーガールの解散ライブを見て、それは覆った。 でもやっぱりそれは奇蹟的な事なんだろう、って思ってたのだけれど、 その、「奇蹟的」な経験を、私はまたすることができた。 フジロックのPEALOUT。 ライブを見ている間に、何度も「本当に解散するバンドなのか?」って思った。 そのくらい、バンドの音がガッチリと固まっていた。
そうそう体験することが出来ないと思われる、 「解散ライブが素晴らしかった」という経験を、 二度も出来た事をありがたく思った。
けれど、また、今日。 その、ありがたい体験をすることが出来た。 バンドの音には緩みも隙もなくて、ガッチリ固まったひとつの音だった。 本当に解散するバンドなのか?って何度も思った。 何の前知識もなく行ったら、解散だなんて思わなかったと思う。 ライブが終わった時、 廻りに居た熱心なファンの方同様に、私も暫し呆然とした。 何も言葉が出なかった。
終演後、軽く打ち上げがあって、直接話をした。 某さんは私を見つけると、あの一点の曇りも無い笑顔で近づいてきて、 フェイバリットミュージシャンが同じである私に、開口一番 「どう?好きな音じゃなかった?」と。 「すごい好きな音だった!びっくりした!(笑)」と返し、更に 「あのですね、私、ライブに関してはすごい毒舌で辛口なんですよ。 でもね、でも、よかったですよ!」 と、なんだか小学生みたいな単純な感想を伝えた(苦笑) それはよかった、と、更に笑顔。 こんなことを言ってもいいのだろうか、と一瞬躊躇したけれど、思い切って “解散するバンドの音には聞こえなかった” と言ったら、返事の声のトーンが少し沈んだように感じた。
会場を出て、涼しい風にあたりながらぼんやりとぼとぼと歩いた。 解散にもいろいろな理由がある。 同じ方向を向けなくなったから、という理由ではなくて、 もしもたとえばそれがメンバーのモチベーション以外のところからくる問題なのだとしたら、なんだかとても寂しいことだ、と思い、悲しくなった。 そして、1ヶ月ちょっと前に、某さんと話をした時の事を思い出していた。 「音楽、続けるんですか?やめちゃうんですか?」 という私の問いに、続けたいけどね、と前置きし、 「十数年遊ばせてもらったから。部活動の延長みたいなもんだよ(笑)」 と、笑顔で冗談ぽく語っていた。
本当に遊びだなんて思っている人が、 いろいろなリスクを負っていくことを選ぶだろうか。 自分達の音への愛情を垣間見た気がして、切ない気持ちになった。 そして、その音を聴いた今日、その時と同じ気持ちになっている。 そうだ、苗場でPEALOUTを見た時もこんな気分だった。
こんなにも、 誰よりも自分達の音をこよなく愛する人がいるのに、 それが最後になるということ。
はがゆいなあ…
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