サーモンピンク・フラミンゴ
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2008年11月06日(木) Prop8可決とジュラシックパークとフェルジナンド

まあ、なんと言いましょうか、あんぐりですよ。

Prop8ってなあに?というかたのために簡単に説明させていただくと、

数ヶ月前にアメリカカリフォルニア州で認められた同性婚、あれ、なかったことにしようぜ!

という運動であります。
同性で結婚なんてよう、ありえねーじゃん?
ふざけるのもいーかげんにしろや、ああ?
ナシナシ!ナシにするための法案通すためにみんなで金も労力もつぎ込んでがんばろうぜ!

という運動です。とワタシは思っているんですけど、違ったら誰かおせーて。

で、それがなんと奥さん、賛成多数でその法案が可決になったんですって!(エプロンで手を拭いながら)


こちらのブログ↓が詳しいみたいですので、リンク。

同性婚禁止法案Prop8可決
http://ftmkeijiro.com/2008/11/post-140.html


まあ、ワタシは自分のこととして考えると、結婚てあまり興味がないので、個人的価値としては「ふーん」で済む話なんですが。

わざわざ金と労力つぎ込んでまで、誰かのささやかなシアワセの足を引っ張りたいと思うその気持ちにあんぐりですよ。
人の足引っ張ってる金と労力と時間があるなら、ぜひご自分のシアワセのために使ってほしい。
てか、地獄に堕ちろおまえら。

なぜ地獄に堕ちろなんて物騒な悪態をついているかといえば。

これってたぶん、宗教的な背景も関係あるんでございましょ?
同性愛ってダメなんざんしょ?
聖書と違うことしてると地獄に堕ちちゃうんざんしょ?

人類を等しく愛する神様なんつーもんが、もしも存在するのなら。
地獄行きは誰なんだっつー話ですよ。

あのですねえ、じょりぃ神をまつるじょりぃ教によりますと、自分のしあわせって、まわりのしあわせの後にごほうびにくっついてくるものらしいんですよ。
この神様、言ってることだけが一人前で、自分のことは棚に上げっぱなしだから、誰も信仰する気にならない宗教なんですけどね?
そんな神様ですけど、生きていくためのささやかな希望の光を見いだした人たちから、追い剥ぎが身ぐるみ剥がすみたいな勢いでその希望の光を奪い取るような行いは、なんかウワサによると地獄に落として死ぬまでビリーザブートキャンプ責めって話。

くどいようですが、ワタシは結婚したいと思ってませんので。
ここに個人的な怨恨はないわけですよ。
たとえワタシが愛する女性と結婚したくなったところで、ワタシがカリフォルニアで式を挙げられるわけではありませんし。

じゃあなぜ、インチキ神様まで持ち出して、悪口雑言叩いているのかといえば。

久しぶりに。

人間て怖い、と思ったからであります。
人のしあわせを奪うためにエネルギーを使う、人間どもが、怖い。
ワタシの脳内では、彼らの顔は悪鬼のそれであります。


それと同時に。

同性愛者の結婚が認められることが、こんなにも恐ろしいと感じる人々がいるということが、
怖いというより、哀れです。
何が怖いの。
何が心配なの。
何が腹立たしいの。

同性婚ごときで不愉快に思うなよ、と言っているわけではないですよ。
思うのは勝手ですよ。

だから、勝手に思ってればいいのに。

何がなんでも、その不愉快を形にしなければ、それを同性愛者たちから取り上げなければ気が済まなかった人々が哀れですよ。怖いですよ。すごいエネルギーですよ。このエネルギー不足の時代に。


しかし、冒頭でのリンク先にも書いてありましたが。
Prop8が可決しないように、財を投じてがんばってくれた企業や個人もあるわけで、これはすごいことでありますよね。
お金使うだけでなくて、リスクもあるわけですからね。
魔女を庇ったあいつも魔女だ、てな具合に、同性愛者を擁護するあいつもイカれてる、社会的に抹殺しちまえ!てなことになるかもしれないわけですし。

というわけで、今まで「ヒヨリミ的でなんかなー(´д`)」と思って、ハンサムなゴリラとしか思っていなかったんですが、Prop8反対の立場でがんばったブラッド・ピットの株が、我が家では急上昇中だったりします。
アンジーの影響も大きいんでしょうけど。
好きな女の良いところにすぐ日和るブラピはかわいくもあり、最近では「器の大きい男ぢゃないか」とすら思えます。


とまあ、ぷりぷり怒りながらテキストをしたためちゃってますけど。(後で読み返すと後悔するんですよねこういうの)
ぷりぷりするだけではなくて、映画「ジュラシックパーク」に出てきた、こんな言葉を思い出したりもするのです。

「生き物は、生きるための道を探す」 (ちょっと違うかもだけど、こんなニュアンス)

映画の中では、「だからDNAも進化変化する」ってことだったんですけど。
生命体を甘く見るなよ、みたいな。

人間社会を大きな生命体として考えるなら。
そして、同性愛者というくくりでもまた、その中のひとつの生命体とするならば。

今回はいったん、希望の光を断たれてしまった同性愛者の生きる道ですが。(ちょっと大袈裟かしら)(でもそう感じている人もいるはず)
どんなに叩かれようとも、道が閉ざされようとも、生きる道を探して進化し、変化し、
同性愛者がより快適に、負担なく生きていくための進化・変化がこの先に待っているはずです。


・・・書いていたら気になってきたので、今「ジュラシックパーク」の該当部分を見てきました。(ヒマねー、ワタシ)

ワタシのイトコに顔が似ているジェフ・ゴールドブラム扮するカオス理論学者が雄弁に語っているセリフがこちら。

「(恐竜をDNA操作することについて)100%の確率を保つことは不可能だ。
 進化の歴史を振り返ればわかる。
 生命を抑えつけることはできない。
 生命は危険をおかしてでも、垣根を壊し、自由な成長を求める」

「生命体は、繁殖する道を探す」


・・・もしかしたら、Prop8可決に票を投じた人たちは、同性愛者に対して「ジュラシックパークで繁殖を続ける恐竜たち」に似た恐怖を感じるのかもしれませんですね。
それが存在することで、自らの生命・・・というと大袈裟ですが、存在の危機を感じるのかもしれません。
コチラ側からすれば「なんと愚かな・・・その心配、よそに回せ」と思いたくなりますが、もしこのように感じているとしたら、これはご大層な恐怖心かもしれません。
そら、躍起にもなるわナ。

恐竜どころか、「はなのすきなうし」(ワタシの好きな絵本のひとつです)のフェルジナンドのようにおとなしく非力なワタシたちだというのに。
闘牛になることなんてこれっぽっちも考えていない、花の匂いを嗅いでいればそれでしあわせなフェルジナンド。
しかしそんなフェルジナンドだって、ハチに刺されれば大暴れするんですよ!


ジュラシックパークに話を戻して、ジェフたん、カオス理論学者らしく、こうも言ってます。

「小さなことが予測不可能な結果を生む」 とな。


今回のProp8可決が、その予測不可能な結果をもたらす「小さなこと」かもしれない、という皮肉もありうるわけです。
今回「してやったり」とほくそ笑んでいるProp8賛同者たち、カオス理論を甘く見てはいけませんですぜ?
香港で蝶が羽ばたけばNYの天気が変わっちゃうくらいですから。
今回の可決がどう転がっていくか、どう変化していくか、それは誰にもわからない。
フェルジナンドを刺したハチが、Prop8可決かもしれないのです。
おとなしいフェルジナンドだって、ハチに刺されれば闘牛のスカウトの目に留まるほどの大騒ぎをするわけであります。


と、勢いにまかせて鼻息荒いことを書いているワタシでありますが。
しかし。
「汝の隣人」を愛せなかった、Prop8に賛同した多くの人たちですが、ワタシたち同性愛者はその隣人を憎むことなく、愛した上で道を開いていきたい。
と、キレイゴトのようですが、ワタシは強く思います。
殴られたから殴り返すようなことは、ワタシはしたくないのであります。
平和主義者だから、ということではなくて、経験から言って、そこからあまり良い結果は生まれないように思うからです。
かといって、殴られたもう片方の頬をおとなしく差し出すつもりもありませんが。
が、殴り返せば殴ったアホと一緒になりますし、殴ったワタシのおてても、きっと、痛い。痛いのイヤ。
殴り返せばまた殴られちゃうかもしれないし。痛い。痛いのイヤ。
ていうか、相手と同じことやってるうちは堂々巡りですからね。
闘牛場に駆り出されても、闘牛士と闘うことなくのんきにお客の花の匂いを嗅いでしまい、結局静かな生活を手に入れたフェルジナンドのようにありたいのであります。
それが具体的にどういうことなのかはよくわかりませんが(°▽°)

ワタシはおまえらを愛するよ。(ここで言う「おまえら」は異性愛者全部にかかるものではなくて、可決に票を投じた「おまえら」です)
敵に塩をどっさり送ってやります。
それこそ、お清めになるくらい、お祓いになるくらい、愛という名の塩を送り続けてやります。

しょっぱいぞー。
ナメクジ野郎なら溶けちゃうくらいの、愛。



しかしまあ、今の正直な気持ちとしては

あんぐり

この一言がいちばんピンとくる、2008年11月6日夕刻のじょりぃであります。
そろそろ開いた口をふさがなくちゃー。






----追記(この日の掲示板より抜粋)------


ちやこさんの前向きなコメントを受けて、ワタシもちょっと。

先ほどやっと、今日の新聞(もう昨日か)が読めたのですが。
新聞はもう、小浜さん一色、といって良い状態です。当然ですが。
その中の記事を、一部引用させていただきます。
長くなってスミマセンが。


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公民権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング牧師らが1965年、アラバマ州のセルマからモンゴメリーまで警官隊の暴行を受けながら流血の行進を行い、投票権の平等を勝ち取ってから43年。
行進の主導者の一人、フレドリック・リース牧師(78)は
「ここまでたどり着くとは想像もしなかった」と語る。
多くの黒人支持者に共通の感慨だろう。
------(11/6 読売新聞より)


これを読んで、今回のProp8可決でぷりぷりしていたワタシも、

「ああ、ここまでたどり着くとは想像もしてなかったな」

と思い直しました。
ワタシが思ったのは黒人大統領誕生のことではなくて(いや、それもですけど)、今回のProp8の騒ぎで、それでも「Prop8反対!」に投票した人が半数近くいた、ということについてです。

ワタシの小学生時代、アパートにひとり暮らしをしていた30になりたてくらいの女性(スラッと背の高くて髪の短い、きれいな人でした)が、近所の人から

「あの人はあの年で結婚もしていない変人だから」

と、後ろ指さされておりました。
村八分になる、というようなことはなく、道で会えば皆にこやかに挨拶したりしてましたが、
「何を考えているかわからないから、近寄るな」
という大人もちらほらとおりました。

まだ自分のセクなんてよくわからなかったワタシですが、そのことに対して漠然とした、しかし強い恐怖心を感じたことを覚えております。

そして、「自分のセクがばれれば生きていけない」と怯えていた、ワタシの思春期。
「男性と結婚しなければならない」と自分に無理矢理課していた20代。

それらを考えると「よくここまできたものだ」と、感慨深いものがあることに気付いたのであります。
「いったんは認められた同性婚がわざわざ取り消された!」という結果だけ見てぷりぷりしてしまいましたが、
「同性婚を認めないなんて法案、認めないよ」と思って投票してくれた人が47.5%いたわけですよね。

あやうく感謝の気持ちを忘れるところでありましたよ。
47.5%のうち、同性愛当事者でなかった人たちの存在を心強く思います。
もしかしたら敗北ではなくて、前進なのかもしれませんですね。


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