◆◆◆日常なんてこんなもの◆◆◆
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| 2004年07月29日(木) |
16年と5ヶ月と21日 |
キキが亡くなりました。
私が仕事に出かけた後、弟がキキが動かなくなってる事に気がついたそうです。
仕事場に母から電話があり。
(今考えると、家族の一員とはいえ、電話かけてきた母もすごいな、と思う)
無理を言って仕事抜けさせてもらって。
(無理を言った私も私なんだけど、、、、)
弟の運転する車で、市外にある動物霊園にキキを運び。
お経をあげてもらい。
お骨を骨壷に納めてもらって来ました。
私はムリを言って来たから、お骨あげの前に職場に戻ったのだけれど。
お経聞いて、焼香して。
火葬場から上がる煙を見て。
帰ったらキキはもういないいんだ、と思ったら。
涙が止まらなかった。
仕事場に送ってもらう弟の車の中で、2人とも無言。
でも、仕事に戻らなきゃならないから。
無理にでも気持ち入れ替えなきゃならないから。
CDかけてもらって。
何か話題探して。
職場に戻った頃には、平静を装えたけど。
その日1日、きっとボーっとしてたことでしょう。
キキが我が家にやってきたのは、私が小学2年を終え、春休みに入った3月の末頃。
ご近所の親戚の方の家で仔犬が生まれた、と言うことで、1匹頂いたのです。
キキは九つ子でした。
抱っこしたら、すぐうれションしちゃう子で。
はねっかえりの気の強い女の子でした。
ちょうどその頃、ご近所の方々も犬を飼い始めた人が多くて。
キキにとっては同世代のお友達がいっぱいいたのです。
近所の公園が遊び場で。
よく脱走してはその公園や、公園近くのお友達の家に行ってたりしたもんです。
キキは、『花火』に関して興味(?)を持っていたのか。
花火をすると、花火に向かって来ました。
当時私たちはまだ小学生。
キキは本気で飛び掛ってくるので、手持ちの時は離すわけにも行かず。
噴き上げやネズミ花火等々。
手持ち以外のときはよく向かっていって、火に噛み付こうとしてました。
消そうとしてたのか、その辺りはよく分かりませんが。
そんなキキの珍しい行動が犬仲間の幼なじみ達に好評で。
ついたあだ名が『消防犬』でした(^^;
よく遠出もしたもんです。
散歩に1時間かけて、山の裏道通って、お寺のほうへ行ってみたり。
普段あまり通らないコースを探検しながら散歩してみたり。
モチロン途中で水分補給できるように、公園にも立ち寄ったり。
時には自販機で水買ったりしながら。
中学に入るとご近所の幼なじみとは年が1コ違い、ということもあって。
散歩の時間が合わなかったり等々したけれど。
それでも休みの日とかは一緒に散歩してたり。
でも、途中で我が家が、学区内とはいえ30分以上離れた所に引越ししてしまったため。
あまり遊ばせてやる事が出来なくなってしまいました。
新しい家の周りは交通量も多くて、前のように離してやることも出来なかったので。
それでも、キキは狭い庭で遊びまわり。
柵から抜けだし、裏に住むチェリー(♂)と仲良くなって。
よくお邪魔してました。
で、帰って来る頃かなァ、と思ったら、
柵に上れなくて、、クーンと泣いて家族の誰かを呼んでたものです。
でも、その頃はすでに、人間の年で言うとかなりのお年。
徐々に体の調子を崩すことがあって。
最後には足腰が弱ってしまって。
ついには寝たきりになっちゃって。
寝返りもうてるわけがないので、床ずれしちゃったりして。
反対向かせてやりたくても、顔の側面にも膿みが溜まっちゃったりしてたので、
どうしても片方だけになってしまってました。
そこが膿んで、化膿して。
見てて、とても痛々しかった。
自分でボウルの水も飲めない状態で。
水差し使って飲ませてやってて。
亡くなる数日前には、ご飯もまともに食べられなくなってて。
ペースト状にしなきゃねぇ、、、って言ってたとこでした。
キキ。
私はバイトが忙しい、と散歩に連れてってやることもあまり出来なくなってたね。
帰ってきて撫でてやることしか出来なかったね。
何で私は、今日。
今日に限って、出かける前にキキを見てやらなかったのだろう。
声をかけてやらなかったのだろう。
元気な時は、尻尾振って、私に甘えてくれて。手や顔なめてくれて。
撫でてやると気持ちよさそうに、嬉しそうにしてくれて。
短時間だけど、一緒に遊んでやると、それこそ庭中駆け回って。
そんなキキが大好きだった。かわいかった。
キキと遊んでると、嫌なこと全部忘れられるような気がした。
本当に癒される存在だったよ。
ほら。太郎くんやムクちゃんや大ちゃんがきっと迎えてくれるから。
寂しくないね。良かったね。また皆と遊べるよ。
キキ。
16年と5ヶ月と21日の生涯。
キキと過ごしたのは約16年と4ヶ月。
私の今までの半分以上はキキと一緒に過ごしたことになる。
思い出をたくさんアリガトウ。
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