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2006年04月11日(火) 語れてしまうことが問題なのかも

いよいよ本務校のほうもはじまりました。朝から学生相談室のガイダンス。
その後、学部のガイダンス。1年生と顔合わせ。これから4年間よろしくね。

エビデンスベースドというものを、あんまりよく理解しないで(というのは、事後的にわかるのですが)論文なんか書いている。いやはや奥が深いものですね。名郷先生の本なんかをいろいろ読んで勉強中。あ、『診断と治療』の最新号は「NBMとEBM」特集なのですよ。
斉藤清二先生もお書きになってて、お買い得。

さて、しかし、そこであらためて思うのはEBMとNBMというのは全然別のものではないということですね。たぶん、全然別のものにならない原因のひとつは、両方ともに単なる理論的な立場であるということを超えて、現実におこなわれている実践だからなんでしょうね。

斉藤先生は「実践による統合」とおっしゃっていますが、結局のところ、実践で人びとが出会うことは、理論で語れるものよりもずっとずっと豊かだというのは至極当然なことで、なおかつ、そうやって理論で語れないさまざまなことを見落としてすすむことができない実践的な制約があれば、さまざまな矛盾を抱えつつも、実践から乖離した見解は自ずからでてこないですね。

まあ、当たり前のことですが、理論で説明できなくても、なんでかわからんけど、できてしまうことはあるということでしょうね。あるいは、人は自分が知らずしらずのうちにしてしまえることの大部分を、さも前からわかっていたかのように事後的にキレイに語れてしまうということかもしれません。

だから、たぶん「ほんとうのこと」というのは、うまく語れなかったり、出来てしまってから小首をかしげることだったり、なんかそういうことのなかにあるんでしょうね。なみだは「こころのずっと奥のほう」からやってくるっていいますからね。


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