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2006年01月19日(木) 四方田犬彦『指が月をさすとき、愚者は指をみる』ぽぷら出版

まだ読んでないのですが、気になっている本です。

一般に、指さされて何かを言われているとしたら、その指の先に何かがあると思ってみるのが普通だと私たちは思っている。指をさされて、その指をみてしまう人は、その意味で外面的なことがら(指)にまどわされて、ものごとの本質(相手の意図)を理解しない愚かな人だということになる。しかし、それは本当でしょうか、と著者は問いかける。

指差している人が、どんなつもりで指しているのか考慮する必要はないのだろうか。例えば、かのヒトラーは「平和」を叫んで、現代では「このうえなく残虐」と評価される戦争をはじめた。

指差されたその先をみようとせず、その指はいったい誰の指であり、どうしてその人はその先を指すのかを吟味しようとした人は、その時代にあっては浮いた存在かもしれないが、現在から遡及的にみればもっとも賢明な人物であったかもしれない、というわけである。

この話は、教育的活動にもあてはまるのではないだろうか。とりわけ、私は拙著について某所であった議論をおもいだした。つまり、SSTで適応的な発話ばかりを繰りかえし、いっこうにその先にある更生という目的を共有しないようにみえる少年は、一般的な意味では「愚者」なのかもしれない。

しかし、私たち大人がそのように指さすことで、結果的に彼らに強いているものは何なのか。理不尽な扱いをうけたからといってそれにいちいち理想主義的に腹をたてるよりは我慢することを覚えろ、社会に適応するにはいまここで楽しいことばかりをつきつめて遊びまわるのではなく、ちゃんと考えて仕事につけというようなメッセージを、私たちはしばしば子どもにむけて使っている。

けれども、そういった価値を指差す私たちの指は、いったい少年にはどう映っているのだろうか、と考えてみると彼らの行動は果たして「愚者」といえるだろうか。「大人なんか信用ならない」という主張は、ある意味、とても賢明だといえなくもない。大人も反省すべきことはある。

さて、それは認めたうえでさらに進めてみたい。結果含みで遡及的ものをみれば、上述の議論はたしかにそうだとうなづける。けれども、では、結果的に悪へと導いてしまう人は、最初から悪へと導く素質をもっていたのであり、それに気付けない周囲が悪いのだということにしていいのだろうかというと、それは少し違うのではないかと思う。

もちろん、ヒトラーについての評価がおかしいとかいいたいわけでは決してない。ただ、言いたいのは、結果からその原因を遡及的に設定するのはよくないということなのだ。そういうふうに考えれば、その場でどのような相互行為がおこなわれ、どのような文脈がそこで作られているのかを見過ごすことになってしまうだろう。私たちは、研究者である自分たちの立場を反省的に相対化することも含めて、<いまーここ>でなにが行われているのかを丁寧にみていくということしかできないのではなかろうか、と思うわけである。



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