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| 2005年10月08日(土) |
『体験と経験のフィールドワーク』北大路書房 |
・・を読んだ。日本質的心理学会で買い求め、大学に送ってもらったのだが、僕はすぐに出張にでてしまったので、日本に帰って大学のレターケースをみてはじめて手に取ったというわけだ。宮内先生は僕が学生の頃から、フィ−ルドワークに関して独自の視点から議論を展開していらっしゃっていつも参考にさせていただいている方である。
フィ−ルドでの対象者との関係性の持ち方の問題、現象をどのようにみるのかという問題、そして観察者の発達をどのように考えるのかという問題など、宮内先生のこれまでのフィールドワーク経験に裏付けられた様々なエピソードがちりばめられていて、とても考えさせられる。
フィールドワーカーにもいろいろな立場の人がいるだろうが、宮内先生は、フィールドワークにおける記述と、自分自身とが切っても切り離せない立場にあるということをつきつめて考えていらっしゃる。こういう立場はけっこうしんどい。ともすると「自叙伝が本になるんだからいいよなー」というような(いちおう褒めてるらしいのだが)言葉も受けとってしまう。僕も遠くない立場にいると思うので、なかなかつらいところではある。
さて、ほとんどの章には明確な答えは示されていない。これまで初学者が気にもとめなかったようなことが、印象的な事例とともに、決して自明でないことが示され、そこであらわになった問題をどのようにひきうけていくかが読者につきつけられる。そういう意味では、安易に答えを求めて読む読者にはつらい書なのかもしれない。もっとも、フィールドで出会う出来事には正解はないし、人それぞれに出会い方というものがある。安易に答えなど示されない方がいいのかもしれない。
最後の章では、フィールドワーカーの寿命について述べられている。宮内先生は、フィールドワーカーには寿命があるという。例えば院生の頃は、○○君と呼ばれていた関係性が、大学の教員になるとしだいに○○先生となり、それが次第に当たり前になっていく。そのとき、若かった頃の自分には語ってくれていた現実と、いまある程度社会的地位をもった自分に語られることはきっと異なるだろう。自分自身がしらずしらずのうちに身につけている、対象となる人々との権力関係に無自覚になれば、もはやフィールドワーカーではいられないだろうということだ。
自分と対象との関係性の変化に無自覚でいてフィールドワーカーでいられないというのには賛成なのだが、ここで重要なのは、院生の頃の方がフィールドワーカーに向いているとかそういうことを宮内先生は言いたいのではないということだ。大学教員は権力関係があって、学生は水平な関係だということもまたないだろう。
本書では、柳田国男と宮本常一という二人の民俗学者が対比されている。前者は国の官僚であり、彼は行く先々で熱烈な歓迎をうけ、接待をうけた。これに対して宮本常一はそういう関係とは無縁に、一人の人として多くの人と交わり、それを記録した。柳田のみたものは、いってみれば周囲との権力関係がつくりあげた現実だというわけだ。
これで思いだすのは、僕はいつだったかの日記に書いた記憶があるのだが、柳田はそれに無自覚ではなかったという話を聞いたことがある。自分の立場を知りつつ、それを見越して自分の役目を果たすための記述をしていたのだという話を聞いた事がある。どんな立場におかれても、そこにある権力関係や、歴史性に気づいていく事は大事だろうし、それはできるだろう。それが宮内先生のもっとも言いたいことなんだと思う。
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